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プロローグ


《無一文の素っ裸で繁華街に放り出されるのよ》

 ネット小説『私を辱める契約書を作ってください』の中で見つけた一文が夕子の脳裏に貼り付いて離れない。勤務中だと言うのに、今もまた気が付くとデスクのパソコンで件のページを開いていた。
「また見てるんですか」
 あの子に見つかってしまった。
「ええ。まあ……」
 曖昧にごまかす夕子。株式会社星崎工業所の社長を務める星崎夕子は三十六歳。独身。軽くカールの掛かった茶髪が似合うエキゾチックな顔立ちだった。
「もおー。マジでやらないでくださいよ。社長がストリーキングなんかしたら、こんな会社、一発で倒産なんですから」
 あの子の言葉に遠慮がないのは、社長室に二人でいる時だけだ。
 歳は二十三歳。ショートヘアーに実用重視のメガネっ子。もう少し気にかけたら美人になると思うのだが、少々残念な子だった。
 社長と社長秘書という関係だが、あの子にはいろいろと弱みを握られていた。夕子の性癖に関してで、ある。
「ストリーキングって……」
 と言っても口先でからかわれるだけで、これまでは特に実害もなかったのだが……
「したいんでしょ、社長」
 頬を染める夕子とは対照的に、あっけらかんとしたあの子だった。
「別にしたい訳じゃないけど、意外だったわね。あなたなら、社長がストリーキングするところ見たいですぅ〜なんて言うのかと思ったわ」
「そうですね。前言徹底します。社長、早速ストリーキングしましょう」
 いつもの会話だ。どこまで本気で言っているのやら。
「そんなことより、こんな会社≠ニは随分な言い方ね」
 星崎工業所は、先々代から続く町工場である。特許もいくつか持ち、中小企業ながら高い技術力を買われて、経済産業省からも開発の依頼が来るほどだった。
「だって、台所は火の車なんでしょ」
 技術力だけでは飯は食えない。技術屋だった祖父の時代から今日に至るまで、会社経営は苦難続きだった。
 夕子にしたところで、大学を出てすぐ両親を事故で失い、選択の余地なく社長のイスに座らされて来た。技術的なことは全くわからない夕子だったが、経営の才には多少なりとも恵まれていたようだ。ここまで何とか会社を潰さずに来られはしたが、そのストレスは確実に夕子を蝕んでいた。
「そうね。時々、逃げ出したくなるわ」
 夕子の立場を考えれば、決してあの子以外には言えないセリフだった。
「素っ裸で、ですか」
 またこれだ。
 社長室の夕子は、あの子にやり込められてばかりだった。

《無一文の素っ裸で繁華街に放り出されるのよ》

 夕子が異常なほど興奮してしまったネット小説。その中で、このセリフを言った登場人物の名前は来栖マリナ。
 夕子は何度か錯覚に囚われていた。
 来栖マリナが小説の中から飛び出し、あの子に乗り移っているのではないかと。


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