『惹(ひかれる)』


作;吉井葉蘭

(1)
 その高層マンションの最上階からは、市街地の向こうの、のどかな田園地帯
まで見渡せる。ただしここに沙希が住んでいるわけではない、友人のリョウに
留守番を頼まれたのだ。
 「インターネットで○○パティスリーの生チョコを注文したの、日にち指定
が出来なくて、丁度出かけなきゃいけない日に届く事になっちゃって。」
 帰ってきたら一緒に食べましょ、そんな言葉を残してリョウは赤ん坊を抱い
て出かけて行った。
沙希は頼まれたわけではないが、リョウが「いくら片付けてもすぐ散らかる」
と嘆いていた赤ん坊のおもちゃを片付ける。こういったものを整理整頓せずに
はいられないのが沙希の性分だった。しかしそれをすませると本当にやる事が
なくなってしまった。
沙希は室内と同じくらい広いルーフバルコニーに出ると春風に吹かれてみた。
リョウの事は嫌いではない、自分の住んでいる3階建てのマンションの窓から
は決して見る事のできないこの風景を眺めるのも好きだった。
ただ、ここにいるとどうしてもため息が出てしまう。高級な住まい、可愛い子
供、稼ぎの良い旦那様、それに引きかえ私は・・・と、つい思ってしまう。
 「あー!やめやめ!」
沙希はわざと大声を出して頭を振った。リョウにだって悩みはある、今日も
姑に買い物に付き合えと言われ、しぶしぶの外出なのだ、難産の末に産んだ赤
ん坊を見た姑の第一声は「なんだ、女か」だったと言う。旦那様はマザコンで
姑の言いなり、そしてその姑の発言は絶対で「宅配便が届くから外出はできま
せん」とは口が裂けても言えないらしい。
自分は、狭いマンションで子供にも恵まれなくて、でも夫は優しいし姑は子供
のいない事をむしろ気遣ってくれる。どちらが幸せなんて決められないのだろ
う。沙希はそう思う事にした。

(2)
 不意にインターフォンが鳴った。時計を見るとまだ2時前だ。
(え?荷物は3時過ぎだって聞いたのに。)
不審に思いつつモニターを見ると、業者の制帽を被った男が立っていた。
 「下のオートロック、他の人と一緒に入らせてもらいました。○○さんです
  よね。」
 「あの、3時くらいだって聞いてたんですけど。」
 「いいえ、12時から2時までの時間帯指定になってますよ。」
首をかしげながら、荷物を受け取るとリビングに戻る。
(だって、指定ができないって、リョウが業者に聞いたらこの地区で指定なし
 なら大体3時に着くって、だから私が呼ばれて・・・。と、とにかく外箱を
 取って冷蔵庫に入れとけばいいのよね。)
釈然としない思いのまま、やたらと頑丈に梱包されている荷物を開けると。
 「な、なんなの?これ!」
沙希は驚きをそのまま口にした。
レディースコミックでそれが何かは知っている、だが実物を見るのは初めての
バイブレーターだった。
送り状を確認するとリョウが言っていた店の名前ではなく、リョウ本人が送っ
た事になっていて、中身を書く欄には雑貨と記されている。
(リョウ!なにこれ!なんでこんな!?)
動揺を隠せないでいると今度は電話がなった。
 「はい、○○です。」
慌てて受話器を取り、リョウの苗字を名乗ると
 「もしもし?」
と、男の声がした。自分は留守番だと言おうとすると
 「プレゼントはもう届いた頃かな?エッチなお前にぴったりの物を送ったん
  だが。」
まるで荷物が届くのをどこからか見ていたかのような言葉が耳に飛び込んでき
た。
(この人が?この人、リョウのなに?)
沙希が絶句していると男は言った。
 「感激で声も出ないのかな?使い方は分かるね、いつものようにお前のいや
  らしい声を聞かせてくれよ。いや、バイブを使えばいつも以上の声が出る
  かな?」
(いつも?じゃあリョウは。)
その時、急に沙希の心の中に嫉妬が起こった。
(リョウ・・・美人でスタイルも良くて、可愛い子供、人も羨む贅沢な生活、
 その上こんな、セフレっていうんだったかしら?とにかくそんな人がいて、
 秘密の楽しみまで手にしているなんて。)
 「使ってもいいんですか?」
思わず甘えたような声が出た。電話の相手は少し驚いたようだった。
 「えっ?・・・あぁそうか、今日はそういう感じでいきたいんだね、俺の命
  令に従って俺に許可を乞いながら気持ち良くなりたいんだ。」
 「は・・・はい。」
それはリョウに対する対抗心のようなものだったのかもしれない。
本来ならリョウが手にするはずの楽しみを奪ってしまえ、そんな思いが沙希の
心に湧き上がった。

(3)
 バイブレーターはパッケージが一旦開封されていた、相手の男がそうしたの
だろう、すでに乾電池がセットされており、スイッチを入れればすぐに独特の
いやらしいうねり方をした。
 「どう?バイブは今どうなってる?」
 「あ、はい・・・動いています。いやらしく、クネクネしてます。」
 「そう、今からお前のアソコはそのバイブに犯されるんだよ。どうだい?そ
  う思うとどんな気持ちがする?」
 「恥ずかしい・・・。」
 「恥ずかしい?なにを言ってるんだ淫乱女が。」
 「そんな、私・・・。」
 「声だけで分かるよ、もうお前はバイブを見ただけでアソコを濡らしている
  んだ。パンティーの中に手を入れてみろ。」
沙希は言われたとおりに一旦バイブを手放すと右手をパンティーの中に入れた。
 「あ・・・。」
愛液が沙希の指に絡みつく。男の笑い声がした。
 「なにが、あ、なんだよ。ほら、どうなってる?」
 「濡れて・・・。」
 「聞こえないなあ。」
 「濡・・・れ・・・てます・・・。」
 「なにが?ちゃんと言えよ、だれのどこがどうなってるんだ?」
 「ああ、だめ、言えない・・・。」
 「じゃあ電話を切ってもいいのかな?」
 「いや、いや、言います・・・私の、あの・・・あ、アソコが・・・濡れ
  ・・・て、います。」
やっとの思いで恥ずかしい言葉を言った沙希の声に、また相手の男は驚いた。
 「・・・リョウ・・・だよね・・・?」
 「あ・・・あの・・・。」
肯定も否定も出来ず、沙希はただうめくだけだった。
 「あぁごめん、素に戻っちゃった。いつものリョウならそんなに恥ずかしが
  らなくて、いきなり自分からオ××コなんて言うだろ?でも今日はいつも
  と違うモードなのかな?」
 「あ・・・。」
 「どうしたの?それになんか声がいつもと・・・まぁいいや・・・ごめん。
  じゃあ続きをしようね。」
男は自分の中で何かを割り切ったようにそう言った、そして沙希にバルコニー
まで出るよう命令した。
 「ほーら、そこまで出ると俺の部屋からもお前の姿が見えるよ。さ、そこで
  犬の格好を取れるかな?」
(ああ・・・恥ずかしい、どうかしてる、私、こんな見ず知らずの人のいいな
 りになって・・・。)
男の言葉が本当か嘘かは分からない、ただ沙希は男の声に酔いしれて、まるで
夢遊病者のようにフラフラとバルコニーで四つん這いになった。
左手は受話器を持ったまま、右手でパンティーを脱ぎブラウスの前をはだけ、
ブラをずりあげたあられもない格好で。
スカートを捲り上げたせいで丸見えになっている秘部に風が通り抜けた。
 「そのバイブを俺だと思ってフェラしなさい、そうそうその前にお願いを忘
  れるなよ。」
一旦スイッチを切ったバイブはそのせいで却ってリアルな男性自身を思わせる。
 「あぁ、お願いです。フェラをさせてください。」
 「お前はフェラってなんだか分かってるのか、説明してみなさい。」
 「あ、あの・・・アレを口で・・・。」
 「何を言ってるのか分からないなぁ、そんなんじゃとてもじゃないけど許可
  はできないよ。」
 「うぅ・・・。」
 「上手く表現できないのかな、こういうことだよ。」
男は自分の言葉を沙希に復唱するように言った。
 「い、いや・・・。」
 「言えなきゃいいよ、フェラさせてあげないだけだからね。」
 「あぁ・・・言います。フェラは・・・はしたない淫乱なメス犬が、男の人
  のおちんちんを舐めたりしゃぶったりさせていただく事です。」
あまりの恥ずかしさに涙がこぼれてきた、同じように秘部から蜜がしたたる。
 「よーし、舐めさせてやろう、ちゃんと舐めるんだぞ、オ××コの中へはそ
  の後だ。」
沙希は夢中でバイブを舐めた。ピチャピチャという音に刺激されたのか、電話
越しに男の興奮した息遣いが聞こえてくる。
 「あぁ・・・いいね、最高の眺めだよ。人も羨むような贅沢な暮らしをして
  いる奥様が実はただの淫乱なメス犬だったなんてね。バルコニーで四つん
  這いなんてどこの誰に見られるかも分からないのに、そんな恥ずかしい事
  よくできるね。」
 「いや、いや意地悪・・・そんなこと言わないで・・・。ああん、もう・・
  ・だめ・・・。」
 「・・・なにが、だめなんだ?入れたいのか?」
 「はい、あぁ。」
 「本当は俺のが欲しいんだろ?」
 「はい、本物が欲しいですぅ。でも、あぁ・・・私みたいな淫乱には贅沢な
  願いです、ですからバイブでいいから入れさせてください。」
 「だったら、いやらしくおねだりしてみろ、そうしたら入れさせてやる。」
 「あぁん、お願いです、バイブを入れさせてください、私の恥ずかしいアソ
  コにバイブを入れさせてぇ、バイブでめちゃくちゃに犯されたいんです、
  お願い・・・お願いぃ・・・。」
(恥ずかしいのに、恥ずかしくてたまらないのに、どうしてこんな事を言えて
 しまうの?私は本当に淫乱になってしまったの?)
 「あぁ、お前は本当にいやらしい女だな、仕方ない入れさせてやる。」
 「あ、ありがとうございます・・・嬉しい・・・はあっ!」
沙希は突き刺すようにバイブを入れるとスイッチを最強にした。
 「ひいっ!あ、ああっ!」
 「どうだ、気持ちいいか?」
 「あ、はぁぁん!んんっ!」
初めてのバイブは沙希には刺激が強すぎた、沙希は短い悲鳴のような言葉にな
らない声をあげ、ものの数秒でイッてしまった。
 「まだだ、まだだよ、俺がイクまではいやらしい声を上げ続けるんだ。」
 「はあっ、あ、あん!いいいっ!」
電話越しに男の低いうめきを聞いたのは、沙希がもうこれ以上はイケないとい
うところまでイカされた時だった。

(4)
 「ねぇ・・・名前は?」
 「・・・沙希・・・。」
ややあって、不意に聞かれた質問に沙希はうっかり本名を名乗ってしまった。
男は驚くでもなく言った。
 「やっぱりね、リョウとは違うと思ったんだけど君も可愛い声してるし、
  なんか止まらなくなっちゃって。」
そうして男は話しだした。流通業界で働いているのでこうした平日に休みが取
れる事。テレホンセックスの相手を求めて出会い系にアクセスし、リョウと知
り合った事。最近リョウがしきりに会いたがるので困っている事など。
 「僕はテレホンセックスをしたいんだよ、メール調教とか実際に会ってセッ
  クスするんじゃなくてね、分かってもらえないかもしれないけど。」
リョウが一方的に自宅の住所や電話番号を教え、家に来て欲しい電話が欲しい
と言うので少し怖がらせるつもりだったのだという。
 「バイブを送りつけて、自宅に電話して、いざとなったらこんなストーカー
  みたいな事できるんだよ、ってね。それで怖がって僕と縁を切ろうと思っ
  てくれるかなと考えて、そうしたら君が・・・。」
沙希は、まだ半分夢うつつの状態で男の声を聞いていた。
 「ねぇ・・・君さえ良ければこれからも・・・ねえ、沙希?」
名前を言われてハッと我に返った沙希は言った。
 「あ、な、生チョコがくるんです!あの、だから切ります!」
男は少し呆気に取られた後、笑った。
 「分かったよ、じゃあ今から言う電話番号、控えてくれる?」

(5)
 帰りに買い物をしようと大きめのショッピングバッグを持って来たのは幸い
だった。バッグの中にバイブレーターを外箱ごと隠してひと安心したところへ
本来受け取るべき宅配便が来た。それを受け取り、帰って来たリョウと何事も
なかったかのようにお茶できたのは自分でも不思議だ。
 自宅に戻った沙希は男の電話番号のメモを見つめた。頭の中に男の言葉が繰
り返し響く。
 「この携帯は今日までなんだ、明日から今言ったこの番号のに代える事にし
  たから。遊び用っていうか仕事用とは別のだから、休みの日しか電源入れ
  てないんだけどね。だから通じたらいつでもテレホンセックスの準備があ
  るってことだよ。」
男は沙希の事を随分気に入ったらしい、電話を待っているだの明日も休みだの
と、積極的な事を言ってきた。
(リョウは何も知らない。)
(あの人の新しい番号もバイブの事も、昼間私とあの人が何をしたかも。)
念のために着信記録だけは消去しておいた、証拠らしいものは何ひとつ残って
いない。
(このまま私が黙っていれば・・・。)
最初はリョウへの対抗心のような気持ちだった、だが今は・・・。
次の日、沙希はメモされた番号へ発信した。まだ迷いはあった、電源が入って
いないか電波の通じない所にいるというアナウンスが聞こえるのを期待する気
持ちもあった、しかし3回目のコールで電話は繋がった。
「もしもし?」


(おわり)


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