読者投稿小説小説『抗議デモで妻が』 作;ベル 私の妻:香苗(かなえ)は27歳。 専業主婦の妻は、最近流行りのLGBTQに関心があるようで 「立場の弱い人々にも手を差し伸べ、平等の機会と権利を与えるべきだ」 という思想に共感するようになりました。 誰に影響されたのかは知りませんが 身近にLGBTQに該当するような知り合いはいないし 英語の苦手な香苗には外国人の知り合いも皆無でした。 ところが来月、人権保護団体の抗議デモが 地元の駅前で行われるようなのです。 このことを知った妻から「自分もデモに参加することにした」と聞かされました。 突然ではありましたが、平凡な妻だった妻が社会的な問題に興味を持ち 人権保護のために行動することに反対する理由はありません。 抗議デモへ参加することは、彼女にとっても大きな決断だったようですが 私は「のめり込まなければ良いなぁ」と思いつつ、妻を送り出すことにしました。 ***** ***** ***** ***** ***** 当日、私も抗議デモの現場に足を運びました。 間もなく駅前の商店街で、約20人のデモ隊が 一糸纏わぬ姿で行進しているのを見つけました。 ほとんどが男性で、女性も数人はいましたが 若い女性は妻の香苗、一人だけでした。 彼らは本当に一切何も着けず、スニーカーだけを履いた姿で お揃いの虹色のリストバンドを着け、商店街をゆっくりと歩いていました。 A3サイズのメッセージボードを頭上で掲げる妻の顔は真っ赤になっており 恥ずかしがっている様子が垣間見えました。 実際、彼女の細く丸みを帯びた裸体が公の場で惜しげもなくさらけ出され 通行人だけでなく、他のデモ参加者たちの視線も引き付けていました。 もともと妻は肌が色白なので、陰毛の生えた部分に注目が集まっていました。 それでも妻の真剣な表情には、勇気と決意が宿っていたように感じました。 「こんな状況でも、抗議デモに参加し続けるなんて・・・」 妻がどれほど勇気を振り絞ったのか考えると 彼女の決意に尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。 とは言え、当然のことながら 一般の通行人の多くがスマホを手にして、妻の姿を撮影していました。 実は私もその仲間に加わり、野外で裸になっている彼女の姿を撮っていました。 正直に言うと、これまで見たことのない妻の姿や表情に 興奮と驚きが入り混じった気持ちが湧き上がっていました。 「地元の駅前で裸になるなんて どんな大義名分があっても、なかなか出来やしないのに・・・」 普段の生活では見せない大胆な妻の姿と行動力に 彼女の新たな一面を発見したように感じました。 デモ隊が商店街を抜けて駅前に到着すると 妻は他のデモ参加者たちと一緒に声を上げて、人権侵害に抗議し続けました。 もちろん妻は駅前でも、一糸纏わぬ姿でメッセージボードを掲げ続けていました。 彼女の声が繁華街に響き渡ると、意外にも多くの人々が足を止めて 彼らの主張に耳を傾けてくれたように感じました。 「デモ隊の勇気と決意が、世間の何かを変える『一歩』となるのではないか」 そう信じられた瞬間でした。 抗議デモが終了し、デモ参加者は一旦、商店街にある貸店舗に戻りました。 私はそれまで知りませんでしたが、人権保護団体が短期契約で貸店舗を借り 当日は妻もそこに集まって準備していたようでした。 デモの手応えを感じたのか、デモ参加者は誰もが上機嫌で 「今日のデモは、香苗さんのおかげで大成功だったよ」 と褒めてくれました。 この後、打ち上げでもするのかと思い、私もついて来たのですが (厳密には、打ち上げと称して妻が彼らに襲われるのを警戒していたのですが) 参加者たちは意外とあっさり解散し始めました。 良くも悪くも、純粋なデモ活動だったようです。 身体を包み隠せるコートを羽織ると、妻はいつもの優しい笑顔を取り戻し 私たちも家に帰る準備を始めました。 「どうだった?初めて抗議デモに参加した感想は?」 貸店舗の中で、私は妻にたずねました。 「・・・いろいろあり過ぎて、なんて言ったら良いのか分からないわ」 「じゃあ、質問を代えよう。プラカードを掲げていた時、何を考えていた?」 「・・・」 「恥ずかしかったんだろう?顔が真っ赤だったよ」 「そうね。でも、恥ずかしいだけじゃなかったの。こんなこと初めてだけれど・・・」 「?」 妻は私が予想もしなかったことを言い出しました。 「裸になって周囲の注目を浴びるうちに、心の奥から『何か』がささやいたの。 主義主張が何であれ、この機会を逃しちゃダメだって! ここまでやっておいて今さら隠したりしたら、全部台無しになっちゃうって!!」 「参加したことでデモ活動の大義に共感した、とかかな?でも、どうして?」 「それが、自分でも分からないの。直感というか、予感というか・・・。 でも、その通りだなって。その直感が正しいって確信したの」 妻はまだ抗議デモの余韻が残っているのか 今もまだ全裸にコートを羽織っただけなのに この気持ちを言葉にして伝えたい、といった感じで話してくれました。 「抗議デモの成否は、どれだけ周囲の注目を集められるかだって教わったわ。 どんなに正しいことを話していても、聞いてもらわなければ伝わらない。 そのための手段が『ヌード』だったし、納得したからこそ私は参加したの」 この時の妻は、例えて言うなら バンジージャンプを終えたばかりの人のように、気分が高揚していました。 「まあまあ、香苗さん。続きは家に帰ってゆっくりと語り合ってくれよ。 悪いんだけれど、貸店舗のカギを不動産屋に返さなくちゃいけないから もう帰ってもらわなくちゃならないんだよ。ゴメンな」 「あ、いやでもまだ香苗は・・・」 デモ参加者のリーダーは申し訳なさそうにしながらも 私たちの背中を押して、貸店舗から追い出した。 「どうする?まだコートの下には何も着ていないんだろう?」 「・・・でも抗議デモをしていた時に比べたら コートを羽織っているだけでも十分隠せているし このまま帰るのって、とっても刺激的だと思わない?」 気分が高揚している妻は嬉しそうに笑いながら、さっさと歩き始めました。 「・・・(これって人権意識じゃなくって、露出行為に目覚めたんじゃ?)」 私の脳裏に一抹の不安が浮かびました。 実際、コートを着ていれば大丈夫かと思っていましたが 妻はマフラーをしてなかったので、襟首周りからは素肌が見えていますし 生足にスニーカーという足回りにも、何となく違和感が拭えませんでした。 しかし私には、楽しそうにしている妻を制する気にはなれませんでした。 前述した通り、平凡な妻だった妻が社会的な問題に興味を持ち 人権保護のために行動したことは、素直に賞賛すべきです。 抗議デモへ全裸で参加したことは、彼女にとっても大きな決断だったようですが 妻には「参加して良かった」と思って欲しかったんです。 自宅に帰るまで、電車とバスを乗り継ぎましたが 妻が『全裸コート』だと気付かれることはありませんでした。 しかし、妻にとっては余韻を長く楽しめた時間だったようで 帰宅してからの『夜の営み』は、彼女の方から積極的に求められました。 この日の出来事を通じて、私自身の考えにも変化が生まれました。 「裸になってまで妻が訴えた『人権の大切さ』や 身をもって示した妻の『勇気』と『決意』が、人々の心に響いたならば 世の中は少し良い方向に向くのではないか?」 と思うようになりました。 次回のデモの予定は、まだ何も決まっていないようですが もし再び妻が抗議デモに参加するとしたら その時は私もデモ隊に加わり、妻が体験した感覚を共有したいと思います。 【おわり】 ***** ***** ***** ***** ***** (あとがき) 以前にも『友人とデモに参加しました』という小説を投稿したことがありますが 実際に、露出行為を行動に移すには 大義名分があった方が良いのではないか・・・と思っています。 「変質者なんかじゃなく、世のため人のために恥を忍んで訴えている!」 のですから、第三者も応援しやすいじゃないですか(笑) もっとも以前は、オゾン層破壊反対や二酸化炭素削減を『大義』としていたのに 最近の流行(?)としては、LGBTQ+が大義になっていると感じます。 でも「被害者ビジネス」というか、言ったもん勝ちという印象が強くなり 自然破壊に反対するよりは共感出来ない、というのが正直な気持ちですね。 私がオジサン世代だからでしょうか? 実際、欧米では「注目を集めるためにヌードになる」という手法は 以前からありますから、いつか日本でも流行って欲しいと思います。 【ベル】
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