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第2話 嫁を飼う島

 翌日、洋太と桜子は、荷物をホテルのクロークに預け、裏島に渡った。
 夏の日差しが照りつけていた。
 桜子は、日よけ用の帽子を被り、淡い草色のワンピースを着ていた。ノースリーブで膝丈も短めだった。洋太は半袖のポロシャツにコットンパンツ、ストローハットという出で立ちだ。手には菓子折を提げていた。
 港の回りは、思ったより賑わっていた。潮の香りがする小道を、二人並んで歩く。洋太は、改めて桜子を見た。ワンレングスのストレートヘアーに切れ長の瞳、スレンダーなボディでも、女性の凹凸はしっかりと魅せていた。こんな美人が、よく一緒にいてくれるものだと、洋太は不思議に思うことがある。この旅行中も、何度、男を振り向かせたか。
 洋太は、自分にもう一つ、自信が持てなかった。
 仕事こそ、人並み以上にこなしていると自負していたが、女性関係は全くダメ。リーチの掛かったハイミスのモーションも断り切れず、桜子に睨まれることも度々だった。
 こんな自分が、桜子をリードしていけるのだろうか。誰もいない村道を歩きながら、洋太は、そんな想いを募らせていた。
 日が高くなった頃、民家が見えた。集落というほどのものでもない。海岸から少しだけ高台になった場所に、数軒の家屋が点在していた。
「ねえ、何か思い出した?」
 桜子が、まぶしそうに、ひさしを上げた。
「こんな感じだったかなあ。なにせ八歳の頃の記憶だから」と言うのが、正直なところだ。この島であることは、確認できていたのだが。
 砂浜に打ち上げられた子供を運んだのだ。そんなに遠くではないはずと、洋太は一番手前の民家で足を止めた。
 石を積み上げて作った垣根が、異国情緒を感じさせた。庭が広く、正面に母屋が、右側には納屋が、建てられていた。
 洋太の記憶が繋がっていく。確かに、こんな感じだった。洋太が戸板に乗せられ運ばれていく時、檻は玄関の脇、納屋との間に置いてあった……
「お客さんかえ」
 その声に振り向くと、老婆が立っていた。出先から戻ったところらしい。年の頃は七十歳前だろうか。どことなく見覚えのあるような気がした。
「すみません。勝手にお邪魔して。私は以前にこちらでお世話になった……」
「洋太じゃろう。おんやまあ、たまげたもんだ」
 老婆は、目を真ん丸にしていた。洋太の驚きは、それ以上だったに違いない。二十年も昔の出来事なのに、洋太の名前まで正確に覚えているなんて。
「その節はお世話になりました」
 洋太は、深々と頭を下げたまま、容易に上げようとしなかった。
「ええ、ええ。お入りなされ」
 老婆は、二人の前を通り過ぎ、玄関の引き戸を開けた。「こっちじゃ」と手招きする。洋太は、桜子の手を取り、老婆に続いた。
「あん時のわらしが、こげに大きくなって。嫁様を貰っただか」
 老婆は、自分の息子とでも話すような気さくさで、話し掛けて来る。その様子が、あまりに嬉しそうなので、洋太は、つい返事をしてしまう。
 座卓の湯飲み茶碗には、何度もお茶が入れ替えられていた。老婆は、手を動かしながらも、話を止めようとはしない。持参した菓子折を出すタイミングも逸していた。
 老婆は、この家に一人で住んでいた。夫と一人息子を、一度に海で亡くしたと言う。この島では珍しいことではないらしい。若者の大半は島を出て行く。外からの嫁を取らない風習もあり、過疎化は避けられない。島の住民は、自給自足の生活をしていた。
 そうした話が延々と続く。桜子の視線には気づいていた。「早く本題に入れ」と催促しているのだろう。自分で言い出さないだけマシだと思っていたが、甘かった。
「ねえ、おばあさん。この家には大きな檻があるって聞いたんだけど」
 洋太は、ため息を付き、掌で額を押さえた。桜子の日常を考えたら、容易に想像できる展開だった。
「あんれま、見られていたのかえ」
 老婆が、のぞき込むように洋太を見据えた。
「はい。女の人が入っていました」
 覚悟を決めて打ち明ける。うろ覚えだったが、気になってどうしようもなくなり、沖縄旅行のついでに寄らせて貰ったのだと。
 老婆は、湯飲み茶碗を両手に持ち、音を立てて啜った。
「あれは家の嫁じゃ……」
 ぼそりと呟く。さっきまでの勢いはなかった。
「犬嫁ゆうてな。この島に古くから伝わる風習じゃった」
 老婆の目は、どこか遠くを眺めているようだった。
 洋太と桜子は、お互いの顔を見つめ合う。お嫁さんをハダカにして檻に入れる風習なんて、聞いた覚えがない。
 だが、これで洋太の記憶が幻ではないとはっきりした。
「じゃったって、今では続いてないんですか」
 口を開いたのは、やはり桜子だった。
「家の嫁が最後じゃ。息子に先立たれて里に帰しただが、今頃どうしておるだか」
 老婆は、悪びれた様子もなく、淡々と語っていた。
「虐待とかでは、ないんですか」
「おい、こら!」
 言い過ぎだろうと桜子を止めた洋太だが、言葉にするなら「虐待」以外に何があるのか、わからない。桜子は「いいじゃない」とばかりに口を尖らせた。
「島の風習じゃ。わしら何百年もそうやって生きてきた。虐待じゃのうて、躾じゃと思うとる。わしもこの家に嫁いだ時には、あの檻の中で寝起きしたものじゃ」
 老婆は、当然のことのように言い切った。
「ハダカで、ですか」
「そうじゃ。犬になるのじゃからの。服はいらんじゃろ」
 遠慮のない桜子に、洋太はハラハラのし通しだった。
 老婆の話では、この島の嫁は、嫁ぎ先に絶対の服従を誓わなければならない。そのための試練として、祝言の日から一年間、その家の飼い犬となる。島の住民は「犬嫁」と呼び、いくつかの決め事が作られていた。
 犬嫁は、衣類を着せてはならない。
 犬嫁は、家屋に入れてはならない。
 犬嫁は、二足歩行をさせてはならない。
 犬嫁は、食事の際に手を使わせてはならない。
 屋内に入れない犬嫁は、丸裸のまま、外で四つん這いの生活を強いられた。地面に置かれたエサ皿で食事を摂り、庭の片隅で排泄を済ませ、散水用のホースで身体を洗われた。寝床は檻の中だった。
「檻は、まだあるんですか」
 桜子は、機を逃さない。
 老婆は「見るかえ」と立ち上がり、土間に下りて行く。洋太の胸が高鳴った。桜子も同じだったのだろう。二人は争うように老婆の後を追った。
 庭に出ると、老婆は納屋の木戸をガタガタと揺すった。
「何年も使ってないからのお」と老婆。洋太が手を貸して、何とか開けることができた。
「あっ」と言う声が重なる。埃臭い空気の中、筵の下から鉄格子がのぞいていた。
 片手で口を押さえ、筵をそっと剥がす。いかにも頑丈そうな檻が姿を現した。高さは一メートル余り、幅は一メートル半、奥行きは一メートル弱といったところか。洋太が幼い日に見た檻は、間違いなくこれだと確信した。
「お嫁さんが逃げ出さないように、閉じ込めておいたんですね」
 桜子は檻の前で膝を折り、扉の閂をいじっていた。
「こいつを掛けたら、決して出られん」
 老婆が、壁に掛かっていた南京錠を取って、桜子に渡した。時代劇でしか見た覚えがないほど、大きな南京錠だった。
「試してみるかえ」
 老婆の口元に深く刻まれた皺には、本気とも冗談とも取れる気配があった。桜子は、食い入るように檻を見据えたまま動かない。
「どうしたんた」と、桜子の肩に手を置く。桜子が、勢いよく立ち上がった。
「私を犬嫁にして」


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