鎖に繋がれた少女
作;ベンジー
洞窟の奥の岩壁に全裸の少女が鎖に繋がれていた。四つのかがり火に照らし出された白い肌が小刻みに震えていた。それは、太陽の恵み受けたことのないその場所の空気のせいばかりではない。 かがり火の灯りが届かぬ先の暗がりに現れるであろうものを、少女は待っていた。どこからか水の滴り落ちる音が聞こえて来る。それは決して遠ざかることもなく、近づくこともなく、時の流れを刻んでいた。 もう、どれほどこうしていただろう。 四つの枷に捕らえられた少女の手足は四方に広げられていた。指先は痺れ、付け根が突っ張る。だが、ここから解放される時には、少女の命は無いだろう。それが少女の宿命、神に捧げられた生け贄なのだから。 やがて、闇の中で揺れるものがあった。松明だろうか。それは確実に近づいて来る。 (いよいよ最期ね) 少女の恐怖があきらめに変わり、顔を横に向けて目を閉じた、その時だった。 「クレア! 助けに来たよ」 聞き覚えのある少年の声に少女は引き戻された。 「ルーク…… ルークなの? どうしてここへ?」 鎖のジャラジャラと鳴る音が洞窟の中に響いた。 「クレアを生け贄になんてするもんか。今、助けてやるよ」 「ダ、ダメよ。わたしが生け贄にならなくては村の人が……」 「こんなことをするやつらの為にクレアが犠牲になることなんてないさ。何もハダカにして繋がなくたって……」 鎖に繋がれた少女・クレアは、この山の麓にある小さな村の娘である。ひとつ年上のルークとは幼なじみだった。 「いや、そんなこと言わないで!」 クレアは頬を朱に染めた。自分の取らされている姿を思い出し、身をよじり顔を背けたが、少女の両手を繋ぎ止める鎖のたるみは少なく、ツンと尖った乳房をルークの視線から守る効果は期待できなった。 「ごめん。クレア。おいら、見てないから」 ルークも顔を真っ赤にして振り向いた。
肥沃な土地を持たないクレア達の村の糧は狩猟に頼っていた。ところがある日突然、山に野犬の群が現れた。そして、狩猟に出た村人が食い殺されると言う事件が相次ぎ、山に入ることもままならなくなった。このままでは皆飢え死にするしかない。 この村では、野犬は神の使いとされていた。 「山の神が怒っておられるのじゃ」 長老は村人を集めて言った。山の神の怒りを鎮めない限り野犬はいくらでも現れ、何度でも村人を襲うだろう。山の神が何を怒っているのはかわからぬが、その怒りを鎮めるには、村の娘を生け贄として差し出さなければならない、と。 生け贄は、村で最も美しい生娘でなければならない。それで選ばれたのがクレアと言う訳だ。 「野犬なんか、全部このおいらが退治してみせる」 ルークは激しく長老に食い下がったが、 「お前の腕なら野犬を斬り殺すはたやすかろう。だがな、神の使いを斬れば災いはお前ひとりではなく、村人全体を襲うことになろうぞ」 村のために犠牲になるのはひとりで十分だと、長老は説き伏せた。ルークは地面にこぶしを叩きつけた。その姿を見て、クレアは自分が生け贄になる決意をした。
ルークが腰の剣を抜き、鎖に当てて斬ろうと試みたが、それで斬れるような代物ではなかった。 「無理だわ。ルーク。大切な剣が使えなくなるわよ」 クレアが心配そうに見つめる。ルークは構わずに作業を続けていたが、 「ダメか。鍵は誰が持っているかわからないし……」 もしわかっていたとしても、生け贄を逃がすことに協力はしないだろう。そうしている内にクレアは息を詰まらせた。 「ル、ルーク……」 「えっ?」 「あれ……」 クレアが目で示す方向には、闇の中に光るものが点在していた。それらは、ルークの後を追って来たかのように、少しずつ近づいてきた。 グルルルルルルーーー 「野犬だ。神の使いが来たんだ」 ルークがクレアを庇うように振り向き、剣を中段に構えた。 「ルーク、逃げて。生け贄はわたしひとりで良いの」 クレアが叫んだ。だが、ルークはその場を動こうとしない。 「何が生け贄だ。こいつらをやっつけて、ふたりで村に帰るんだ」 「ルーク…… でも、ダメ。神の使いに手を出したりしたら……」 「そんなこと知るもんか。クレアをこいつらには渡さない」 野犬の群は、とうとうかがり火の届くところまで来た。眉間に皺を寄せ、牙をむき出しにして唸りを上げている。十四、五匹はいるだろうか。クレアとルークはすっかり囲まれてしまった。 ルークの注意の隙を突くように野犬は飛びかかってきた。ルークは身動きの取れないクレアを庇いながら、上手く体を入れ替えて野犬の襲撃を迎え撃った。ルークの剣が空気を切り裂く度に、野犬が一匹、また一匹と洞窟の底に倒れた。クレアにはその切っ先を目で追うことすらできなかった。統率が取れているようで、そこはやはり野犬である。仲間の二、三匹がやられると算を乱して逃げ出した。 ルークが狩りに出て、大人顔負けの働きをしているのは聞いていたが、クレアがそれを目の前で見るのは初めてだった。 「ルーク、すごいわ」 クレアは、幼なじみがいつの間にか頼もしい男に変わっているのを感じた。「こいつらさえ悪さをしなけりゃ、クレアがこんな目に合うことはなかったのに」 ルークがいまいましそうに野犬の亡骸を蹴った。 「いけないわ。死んだものをそんなふうに扱っては」 「クレアはなんでそんなに優しいんだ。こいつらのせいで……」 ルークは振り向いたが、クレアの全裸像が飛び込み視線を落とした。 「それはそうだけど……でも、わたしもすぐにそうなるのだもの……」 「そんなことはさせない。させるもんか」 ルークはまた、鎖を切る作業に取りかかった。だが、それが無駄な労力であることは、ルークにもわかっている筈だ。鎖に当てた剣の背を石で叩く音が、洞窟の中にこだました。 「ちくしょう! どうしようもないのか」 ルークもやがて膝をつき、持っていた石を岩壁に叩きつけた。 「ルーク、もう良いわ。これがわたしの運命なのよ。山の神様が来る前にここから離れてちょうだい」 下を向いて岩を叩いていたルークの背中が痛々しい。 (あなたのせいじゃないのよ) クレアがそう声を掛けるようとするより早く、ルークは立ち上がった。 「いや、おいらはここから動かない。おいら、山の神に会ってやる。山の神に会って、なんでこんなことをするのか問いつめてやる。そうでなけりゃ……」 ルークは、力を込めた両方のこぶしを高く上げて叫んだ。そして、クレアの方とちらっと見やると、その前に背を向けて座り込んだ。生け贄に供されたクレアにとって、これ以上の餞はなかっただろう。 それにしても、山の神はいつになったら現れるのだろうか。クレアがここに繋がれてから随分と時が経っている。空気の冷えた場所に長時間晒されていたクレアには、差し迫った深刻な問題があった。 「ねえ、ルーク。ちょっと向こうに行っててくれる」 「まだそんなこと言ってるのか。おいらは絶対にここを離れないぞ」 「ううん、違うの。わたし……」 クレアは腰をもじもじさせていたのだが、ずっと背を向けているルークにはそれが知れよう筈もなかった。 「どうかしたの?」 ルークが首を動かした。 「こっち見ないで!」 「ご、ごめん」 「ねえ、ルーク。お願いだからちょっとだけ向こうに行っててちょうだいよ。わたし……、したいの」 「えっ……?」 「だから……がしたいのよ」 「あっ!」 ルークがやっと腰を上げて洞窟の入り口に向かって走り出した。その姿が闇の中に見えなくなるのをクレアは待った。 「もう、鈍いんだから」 クレアは下腹部の力を抜いた。我慢していた分、シャーと音を立てて吹き出した液体が岩に飛び散り、クレアの足に跳ね返る。内股に這う滴の感触が気持ち悪かったが、鎖に繋がれた身ではどうすることもできなかった。 「もう、良いかい?」 ルークの声が聞こえた。 「う、うん」 その声が思ったより近かったのにクレアは驚いた。タイミングも良すぎる。ルークの姿こそ見えないが、向こうからはこちらが見えていたのではないか、とクレアは恥ずかしくなった。 ルークがそろそろと戻ってきた。顔を背けてはいるが、その目の動きがクレアの恥丘を気にしているのがわかる。尿に濡れた部分が熱かった。 「ク、クレア。おいら……」 ルークは元いたように腰を下ろした。 「何?」 「ふ、拭いてやった方が良いのか? そのままじゃ……」 「えっ……?」 クレアは、かあーと血が沸き上がるのを感じた。ルークがそんなことを気にしていたなんて。クレアは返事ができなかった。男の子にその部分を拭いて貰うなんて、普段なら考えられないことだが、このままでいるのも確かに気持ち悪い。 「おいら、絶対見ないから」 ルークはそう言うと、腰に下げていた布を手にクレアの足元に迫った。それはクレアの戸惑いの隙を突いていた。 「ルーク……、ダメッ、本当に……見てはダメよ」 クレアの素肌が薄い布越しにルークの手の感触を得た。両方の膝が内側に向かおうとするが、鎖の長さがそれを許さない。クレアは目を堅く閉じて、されるがままになっているしかなかった。 「わたし、こんなことまでさせちゃって……、もう、ルークのお嫁さんにして貰うしかないわね」 ルークの手が止まった。 「クレア、おいら……」 立ち上がったルークの顔が、クレアの正面にあった。少女の秘密を身近にしていれば、おかしくならない方が不自然である。見つめ合うふたりは引き合うように唇を重ねた。そのぎこちない口づけにクレアは涙した。 「おいら、もう……」 クレアの背中を抱きしめていたルークの右手が、ためらいがちにクレアの乳房に触れた。クレアは背筋を伸ばし、顎を高くして息を漏らしたが、 「ダメよ、ルーク。こんなところで……」 「で、でも、おいら、我慢ができないよ。クレアはおいらが嫌いなのかい?」 「ううん、好きよ。いつかはこうなると思っていたわ」 「じゃあ……」 「でも、今はダメ。こんな形では結ばれたくないの。無事に村に戻ることができたら、ね。その時はわたしをルークのお嫁さんにしてちょうだい」 それは道徳的な言葉ではなかった。 クレアはもう生け贄になろうとは思わなかった。村に戻ってルークと幸せになることだけを考えていた。 「お取り込み中のところを悪いが、俺も仲間に入れて貰えないかな?」 ルークの背後で男の声がした。 「いやあーーー」 クレアが悲鳴を上げた。 「誰だ。お前は?」 ルークが振り向いた先には、村では見かけぬ男が立っていた。歳は二十歳を越えたくらいか。熊の毛皮をまとい、足に履いたわらじは度に出る時のものに見えた。腰に下げた剣はルークの物より一回り大きかったが、二の腕の太さはそれを振るに十分と思われた。 「俺の名はオリオン。長いこと旅に出てはいたが、元はと言えばお前らと同じ村の人間だぜ」 ルークは、オリオンと名のるその男の視線からクレアを庇うように立った。 「それが、どうしてここに来た?」 「久しぶりに村に戻ってみたら野犬の被害が出ているそうじゃないか。俺が退治してやろうとして追いかけて来たんだが、この辺りで見失っちまった。もしかしたらこの洞窟に逃げ込んだかと思ってな」 クレアの目の前で、ルークは剣に手を掛けている。オリオンの話が本当ならクレア達の味方ではないか。ふたりの中に警戒と期待が同居した。 「お前らの方こそ何をしているんだ。こんなところで楽しんでいたら危ないぜ」 「そんなんじゃない。クレアは生け贄にされたんだ」 「生け贄だと。村の奴らは、また、そんなことをやっていやがるのか」 オリオンの顔に怒りが沸き上がった。クレアは自分達の知らない何かを、この男が知っていると直感した。 「と、とにかく、向こうを向いてくれ」 「そうだな。悪かった」 オリオンが背中を向けた。後ろから見ても体つきがしっかりしているのがわかる。腰紐には小指ほどの竹筒が差してあった。 ルークがその背中に向けて話す。 「また、と言うのはどういうことだ」 「今から二十年以上前にもそうしたことがあったらしい。俺も生まれる前なんで詳しいことは知らんが、きっとその娘のように鎖で繋がれたのだろう」 長老が言っていたのはそのことか、とクレアは思った。 「それで、その人はどうなったのですか?」 クレアがルークの肩越しに話しかけた。今、最も知りたいことだった。オリオンがクレアの方に目を向ける。それをルークが遮った。 「三日後に村に帰って来たそうだ」 「良かった。山の神に許して貰ったのね」 クレアがほっとして胸をなで下ろすと同時に、ルークが振り向いて目を合わせた。ふたりの目に希望が見えていた。 「ぬか喜びさせて悪いが、その娘は身ごもっていた。村人達はそれを山の神の子だと気味悪がった。山の神と言っても妖怪みたいなものだからな」 「それで、その子はどうしたの」 「無事生まれたさ。元気な男の子だったそうだ」 オリオンの話の続きはこうだった。 その男の子はあまりに元気過ぎた。あまりに成長が早かった。そのために村人から妖怪の子と疎まれ、子供達にはいじめられた。やがて村人達の迫害が母子に及び、それは男の子の成長と共に激しさを増していった。そしてある日気が付くと、その母子は村からいなくなっていた。 「悲しい話さ」 オリオンはそれを淡々と語った。 「それじゃあ、わたし……山の神様に……」 「ああ、覚悟しておいた方が良いぜ」 「そ、そんなことはさせるものか!」 ルークが声を張り上げた。 「ほお、頼もしいな。そいつらはお前がやったのか」 オリオンはルークの足元に転がっている野犬の亡骸を差した。 「そうさ。クレアをいじめる奴は、山の神だって許さない」 「ははははっ、なら俺もつき合ってやるとするか。村を救う為とか言って、平気で娘を犠牲にする連中はどうも好かん。お前の方がはっきりしていて良いぜ」 「協力してくれるのか? 山の神と話をつければクレアは生け贄にならなくてすむ。そいつが野犬共の元締めなんだ。」 「ああ、協力するぜ。お前だって飯も食えば眠りもするだろう。交代がいなけりゃ身が持たないからな」 当たり前のことにルークは気が付いていなかったようだ。剣の腕はたっても、それがルークとオリオンの歳の差だったのだろう。 「頼む。クレアを助けてやってくれ」 ルークは剣の柄から手を離してオリオンの前に回り込み、膝をついた。 「任せておけって」 そう言うとオリオンは食い物を探しに洞窟を出ていったが、すぐに戻って来た。両手に芋やら果物やらを抱えていた。 「遠くで食って来い。お嬢ちゃんは食べられないからな」 「なんで……?」 「食べる物を食べれば、出る物が出るんだ。しばらくは我慢した方が良い」 その声はクレアにも届いていた。先ほどのことを思いだし、良く気が付く男だと思った。 「でも……」 ルークは、クレアをオリオンとふたりきりにすることに躊躇したのだろう。その場を離れようとしなかった。 「食べておかないと、山の神とやらと戦えないぞ」 「そうよ。わたしは大丈夫だから」 確かに腹が減っていたルークは、クレアの言葉に甘えた。 「ごめん。すぐに戻るから」 ルークが足音を残して闇に隠れた。 オリオンはルークが座っていた場所より、さらに遠くに腰を下ろした。入り口の方を警戒しているように見える。だが、ついさっき出会ったばかりの男とふたりきりになったクレアは、やはり不安を隠し切れない。自分は無防備の肌を晒しているのだ。 「お嬢ちゃん、クレアって言ったかな?」 オリオンの言葉にクレアの心臓が刺激された。 「そ、そうです」 「クレアは山の神って本当にいると思うかい?」 「えっ……?」 「見たこと、ないんだろう」 「は、はい。でも……」 「でも……村の人が言うから、か? その歳じゃまだ仕方が無いかもしれないが、少しは大人の言うことに疑いを持った方が良いぜ」 クレアにはオリオンの言わんとするところがわからなかった。 「俺は父親を探しているんだ。村にいた頃からお袋とふたりきり。一度だって父親の顔を見たことがない」 オリオンが身の上話を始めた。クレアもそれにつき合うしかなかった。 「お父さんは旅に出ていたのですか?」 「いや、俺は父無し子なんだ。それでよく村の子供達にもいじめられたものさ」 「それで、お父さんを探しに旅に出たのね?」 「まあ、そんなところだ」 「お母さんも一緒に行かれたのね。村ではそういう話聞かないから」 「ああ、一緒だった。死んじまったけどな」 クレアは悪いことを聞いてしまったと後悔した。 「村の奴らに殺されたようなものさ」 オリオンが突然立ち上がった。そしてクレアの方を振り向き熊の毛皮を脱ぎ捨てた。 「この体を見ろ。これが化け物の体か?」 鍛えぬかれた筋肉と無数の傷跡がそこにはあった。 「化け物って…… そんな、まさか……?」 「そうさ。昔、生け贄にされて身ごもったという女は俺のお袋。そして生まれた男の子がこの俺さ」 クレアに向かって足を踏み出したオリオンの形相が変わっていた。 「いやっ、来ないで。お願い、こっちに来ないで」 オリオンは構わずにクレアの前に立った。遠慮のないまなざしがクレアの肌をなめた。恐怖と恥ずかしさが同時にクレアを支配した。 「お袋が死ぬ前に言ったよ。お前は人間の子だってな。それがどういうことだかわかるか?」 クレアは首を振るだけだった。 「教えてやろうか。生け贄にされたお袋は、ここで山の神を待っていたんだろう。だが、そこに現れたのは山の神なんかではなく、お袋をここに繋いだ村の連中の誰かだったのさ」 「いやっ、もう言わないで」 「黙って聞け。お前の父親の背中には三つの斑点があるか?」 「いやあ、もう許して」 「あるのか。ないのか。どうなんだ?」 「な、ないわ」 「そいつは良かった。もしあったら、俺は実の妹を犯してしまうところだったからな」 オリオンが背を向けて見せた。その真ん中に三つの斑点が斜めに並んでいた。 「これが俺の名の由来、オリオン座の三ツ星さ」 だが、クレアにはそれが目に入っていたのだろうか。オリオンが自分を犯そうとしていることを知り、クレアは恐怖するばかりだった。 「そんな……やめてえ……」 「お袋もそうやって許しを請うただろう。だが、奴は許さなかった。身動きではないのを良いことにお袋を慰み者にしたんだ」 今度はお前の番だとばかりにオリオンがクレアの乳房を掴んだ。 「ひぃーーー! ルーク、助けて。ルーク!」 「無駄だ。奴には毒を盛ってある。今頃は夢の中さ」 「それじゃ、さっき渡した食べ物に……」 「これでわかっただろう。お前は俺を受け入れるしかないのさ」 オリオンの顔がクレアに迫る。クレアが絶望の淵に立たされたその時、オリオンの姿が突然目の前から消えた。 「あいにくだったな。おいらは寝ちゃいないぜ」 「ルーク!」 「何!」 クレアの叫びとオリオンの驚嘆が同時に起こった。ルークがオリオンを突き飛ばし、間に割って入ったのだ。 「貴様、食料に手をつけなかったのか」 「ああ、危ないところだったがな。話は全部聞かせて貰ったよ。あんたも可哀相な身の上だとは思うが、クレアをいじめる奴は、今すぐここから出て行け」 オリオンは腰に手を当てて捜し物をしているような手つきをした。 「捜し物はこれかい?」 ルークが見せたものは、小指ほどの竹筒だった。 「犬笛って言うんだろう。これで野犬共を操っていたんだな。さっきあんたの腰に刺してあるのを見つけたんでね。用心してたのさ」 ルークは竹筒を指に挟み、自分の太股に叩きつけて割って見せた。 「ははははっ。ほめてやるぜ。いかにもあの野犬どもは俺が遠く旅先から連れて来たものさ。ここをねぐらに村の奴らに復讐してやろうと思ってな」 オリオンが立って剣を抜いた。ルークも正眼に構えた。オリオンは力強い剣先でルークを襲いかかった。ルークはこれに素早さで対抗した。 「この俺と互角に斬り結ぶとはな、大した奴だ、お前は。だが……」 オリオンの口笛が洞窟を走った。犬笛を使わずとも野犬を呼ぶことができるようだ。間もなく野犬の群がふたりの周囲で唸り声を上げた。 「さあ、どうする。俺とこいつらと、同時に相手にできるかな?」 野犬が襲って来た。ルークがこれを交わす。するとまた別の一匹が襲い掛かる。野犬どもは先ほどの戦いで見切ったか、ルークの剣をぎりぎりのところでかわしていた。 「そこまでだ。剣を捨てろ」 野犬に気を取られた隙に、オリオンはクレアの喉元に刃を突きつけていた。 「卑怯だぞ」 「そうか? 自分達が助かりたいが為に、村の娘を生け贄に出す連中程ではないと思うがな」 「くそー」 ルークが剣を捨てた。オリオンはルークに後ろを向かせ、腰紐で両手を縛った。 「どうするつもりだ?」 「知れたことよ。だが、せめてもの情けだ。お前にはこれから起こることを見せないでおいてやる」 オリオンがルークに当て身を入れた。ルークは後ろ手に縛られたまま意識を失って倒れた。 再び、オリオンがクレアに迫った。 「わたしを……犯すのね」 クレアにはすべての道が断たれていた。 「そうだ。それが俺の復讐さ。お前の父・シリウスへのな」 「お父さんを知っているの?」 「知っているとも。シリウスこそが俺のお袋を生け贄に選んだ張本人だからな。お前をずたずたにして送り届けてやる」 オリオンが腰布を取った。凶器と化した肉塊がクレアを襲う。 「いやああああああああああ」 クレアの断末魔が洞窟の空気を切り裂く。そこには恋愛感情など微塵もなく、単に復讐の対象でしかない、あまりに惨めな痛みだった。 「ははははっ、やったぞ。俺は復讐してやった」 オリオンは肉塊をクレアの中に残したまま叫んだ。クレアの体はオリオンを受け入れるにはあまりに小さい。強く抱きしめればオリオンの頭はクレアの肩を越えて背中まで見せた。 「こっ、これは……」 突然、オリオンの動きが止まった。 「そんなばかな、まさか、こんなことが……」 オリオンがクレアの体から離れた。クレアは、その両足に体を支える力はなく、手枷にぶら下がるばかりだった。 「おい、起きろ」 オリオンがルークの頭を蹴った。そして意識を取り戻したルークの胸ぐらを掴んで持ち上げた。 「お前に聞きたいことがある。クレアはシリウスの娘ではないのか」 「そ、そんなことを聞いてどうする?」 「良いから質問に答えろ?」 オリオンの口調には鬼気迫るものがあった。 「クレアはシリウスの本当の子ではない。旅の行商人が連れていた赤ん坊を子のないシリウスが引き取ったと聞いている」 「その行商人と言うのはどういう男だ?」 「何年かに一回この村を訪れていたらしいこと以外は知らされていない」 「そのことをクレアは知っているのか?」 「知っている。だからこそ自分が生け贄にと思ったのだろう」 「そうか……」 オリオンの手から力が抜けた。 「クレア! クレアは無事か?」 地面に倒れたルークは、後ろ手に縛られた不自由な体でクレアを探した。 「ああ」 オリオンは立ち上がるとクレアの正面で剣を振った。激しい金属音と火花が飛び散り、クレアを拘束していた鎖が切れた。オリオンがその剣技をルークとの打ち合いで使っていたら、ルークはすでにまっぷたつだっただろう。崩れ落ちるクレアの体をオリオンが受け止め、岩肌に寝かせた。 「おい、お前はクレアを嫁さんにするんだったな。だったら良く覚えておけ。山の神なんて奴はいない。村へ戻っても、お前が守ってやらなければ誰もクレアを救うことはできないぞ。他のことはすべて忘れろ。俺のことも。ここで起きた出来事も。クレアにも忘れさせるんだ。それ以外にお前達が幸せになる方法はない。いいな」 オリオンはそれだけ一方的に言い残すと、ふらふらと洞窟を去っていった。 「クレア! クレア!」 ルークはうつ伏せになったクレアの白い肌に呼びかけた。クレアの背筋には、三ツ星が綺麗に並んでいた。 (おわり)
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