第5話 檻の中
桜子は、檻に閉じ込められていた。
猛獣でも入れておけるような鋼鉄の檻は、立って歩くこともできず、身体を伸ばす広さもない。板敷きに、白い裸身を横たえていた。
身に付けている物は、皮の首輪だけ。「犬嫁」の証しである。
夜も更けた。玄関先に置かれた檻を見張る者はいない。月明かりの下、虫の音を、波がかき消すばかりだった。
桜子には、二十歳の頃から五年間付き合っている恋人・洋太がいた。社内のミスコンにも選ばれた経験ある桜子だ。容姿には、それなりに自信も持っていた。なかなかプロポーズしてくれない洋太に痺れを切らし、一計を案じた。その結果が、全裸で檻の中というわけだ。
「失敗したかなあ」
誰にともなく、桜子は言葉を漏らた。
ここは沖縄の孤島・裏島。
この島には、嫁いできた嫁を一年間、飼い犬として扱うという風習があった。幼い頃、海難事故に遭った洋太は、流れ着いた裏島で「犬嫁」を見ていた。檻に入れられた若い女性の姿が忘れられないと、酔った拍子に口を滑らせたことがある。
話を聞いた桜子は、犬嫁について調べた。洋太の遭遇した海難事故の記事から、救出された民家を探し出すのは容易だった。新聞の取材と偽り、犬嫁の風習を聞き出した。
犬嫁は、外で飼うものとされていた。丸裸のまま、四つん這いの生活を強いられ、地面に置かれたエサ皿で食事を摂り、庭の片隅で排泄を済ませ、散水用のホースで身体を洗われた。寝床は檻の中だった。
信じられない思いだったが、洋太が見たというのだから、まんざらウソでもないのだろう。嫁に家への服従を誓わせるための風習だった。
「あそこで、やめておけば良かったのかも」
桜子は、鉄格子を見つめ、自分の行動を振り返った。
案じた一計は上手くいった。洋太から「東京に戻ったら結婚しよう」と言われたところまでは良かったのだが、少し薬が効き過ぎたらしい。
まさか本当に一晩中、檻の中で過ごすことになるとは思わなかった。
桜子と洋太は、同じ広告代理店に勤めていた。三つ年上の洋太は、若手のホープだ。仕事はできるのだが、女性には、まるで弱い。桜子との交際にも自信が持てず、結婚を怖がっているのは、わかっていた。
桜子は、洋太と共に裏島へ行こうと考えた。「結婚して」とは言えなくても「私を洋太の犬嫁にして」と迫ることならできる。虐待とも思える行為に甘んじ、そこまでして洋太と結婚したいのだと、訴える積もりだった。
「まあ、いいか。明日には東京に帰れるんだし」
沖縄の夏の夜風はやさしかった。ハダカでいても寒くはない。こんな地方だからこそ、犬嫁の風習も可能だったのだろう。
虫除けの線香の煙にも慣れた。このまま横になっていたら、寝てしまえるものだろうか。
野宿の経験すらない桜子だ。ましてハダカでなど……鉄格子の向こうには、無数の星々が煌めいていた。
母屋で寝ている洋太が恨めしい。
手の内を明かすのが早かった。洋太のプロポーズを聞いて有頂天になり、桜子は、一計の全容を打ち明けた。結婚の話こそ反古にはしなかった洋太だが、それなら最後まで犬嫁の勤めを果たして貰おうと、顔を引きつらせた。
あそこでばらさなければ、今頃、布団に入れて貰えたかもしれない。
この家には、老婆が一人で住んでいた。犬嫁の檻も、犬小屋も、老婆が用意してくれたものだ。息子の嫁に犬嫁の躾をした経験のある老婆は、桜子にも容赦がなかった。
老婆は言っていた。「犬嫁は何もできない。何もさせて貰えない。家の者に頼って生きるしかない」と。
桜子は、檻の中を見回した。
ここには何もない。肌を隠す衣類すらない。桜子は、認めざるを得なかった。
「ホントだ。私、何もできない」
これが、犬嫁の躾なのだ。
気持ちが少し楽になった。ハダカで檻の中にいる桜子でも、この島では変わったことではない。寝てしまおう。朝になれば、檻から出して貰えるはずだ。
桜子は、自分の環境適応能力に感謝した。
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