第1話 首輪
1
結局、私は二着だった。
勝ったのは隣の大島さん。きわどい勝負にはなった。身体は私のほうが前に出ていたかもしれない。最後は手の長さの差だと、慰めてくれる部員もいた。
結果はともかく、私は満足だった。
表彰台で、大島さんを見下ろせなかったのは心残りだけど、飛び込みも、ストロークも、ターンも、ミスはなかった。あれで負けたのでは仕方がない。
私らしくないとは思うけど、そう思えたのも、きっと里見先生のおかげだ。「最高のできだったぞ」って、私の頭を、大きな掌で包んでくれた。
少しだけ、涙が出たっけ。
部活がなくなり、真っ直ぐ家に帰る生活が始まった。高校受験と言っても、まだ実感が沸かない。何となく気の抜けた毎日を過ごしていた。
「髪でも切ろうかな」
今まで全然構わなかった。長い髪をお提げにしているのは母の趣味だ。相談もしないで切ったら、泣くかもしれない。
そんなある日のことだった。
梅雨に入ったばかりで、油断が無かったと言えばウソになる。
学校からの帰り道で雨に降られ、雨宿りのつもりで飛び込んだ軒下が、『ペットショップさかした』だった。
入り口の自動ドアが開く度に、キャンキャンと鳴く小犬の声が漏れてきた。
雨はすぐに止みそうもなく、衣替えしたばかりのブラウスが濡れて、身体が震えた。店内へと足を踏み入れたのは、小犬の鳴き声に、引き寄せられたからではない。
室内で飼う小型犬が、それぞれの檻の中で自己アピールを繰り広げていた。自ら飼い主を探してでもいるかのようだ。
私の目を惹いたのは、店の一番奥にあるシベリアンハスキーの檻だった。
小型犬のケージとは通路を挟んでいた。膝より少し高いくらいの台に、大型犬用の犬小屋や檻が並べられ、その一つに灰色の背中が横たわっていた。
赤い鉄格子は、いかにも頑丈そうで、他の檻と比べても一際大きかった。大人の人間でも入れそうだ。
「そのコが、お気に召しましたか」
店員に声をかけられて、心臓が飛び上がった。
どうしてだか、わからない。悪戯をして、お母さんに見つかった時のような気持ちだ。
「あっ、いえ、別に……」
慌てて帰ろうとすると「ちょっと待って」と呼び止められた。
三十歳前後のやさしそうな女性だった。
足を止めた。店員の言葉に、どことなく逆らい難いものを感じたから。
店員は、すぐにタオルを持って来た。
「かなり濡れちゃったわね。急に降り出したから」
私の肩にタオルを乗せ、両端で頭を拭いてくれた。
「中学生かな。雨宿りの割には、随分と熱心に見ていたわね。そのコ、珍しかったかしら」
檻には名札が付いていた。
『シベリアンハスキー 牝 二歳』
檻の中に、大きな犬が横たわっていた。大き過ぎて、柄物の毛布が丸めてあるようにも見えた。
「な、名前は付いてないのですか」
咄嗟に出た言葉だった。
「ええ、名前は飼い主さんに付けてもらうから。でも……うん、なんでもないわ」
店員が口ごもった。
心なしか、表情が暗くなったような気がしたけど、気のせいかも知れない。それよりも、ここで話を終らせてはダメだという気がした。
「私の家、犬が飼えないんですけど……」
ウソだった。犬に限らず、ペットを飼いたいと思った覚えはなかったし、食卓の話題に登った記憶もなかった。
「あら、残念ね」
店員は、笑顔に戻っていた。
「でも、また見に来ていいですか」
それだけ言うのにドキドキした。
「いいわよ。いつでもいらっしゃい」
店員は、イヤな顔一つ見せなかった。お店から見たら、私は、ただの冷やかし客なのに。
「ありがとうございます」
私は、勢いよく頭を下げた。
シベリアンハスキーに興味があったわけではない。話を合わせるために、フリをしているだけだ。罪悪感に胸が痛んだ。
「余程気に入ったみたいね。今度、檻の中に入って見る?」
「えっ!」
心臓の鼓動が、一拍だけ大きく脈打った。
「冗談よ。犬と一緒なんて嫌よねえ」
あの驚きようは何だったのだろう。
その後も、何ということもない会話を続けたが、覚えてもいない。そうしている内に、雨が上がった。私は、もう一度お礼を言ってから、帰路に付いた。
タオルは「洗濯して返します」と持って帰った。
家に戻ってからも、ペットショップの店員の言葉が耳元に残っていた。
(檻の中に入ってみる?)
どういうつもりで言ったのだろう。
檻に入って、シベリアンハスキーの頭を撫でてみますか、という意味だったのか。それとも、もっとスキンシップも持つことができますよ、という意味だったのか。
店員のきれいな声を思い出す度に、胸の鼓動が速くなった。
そもそも、なんで私は、シベリアンハスキーの檻なんか見ていたのか。
小犬は、かわいいと思う。
でも、それだけだ。飼ってみたいとも思わないし、ペットショップに入ったのも、生まれて初めてだったのに……
2
翌日、学校での私は、ペットショップのことばかり考えていた。
席は廊下側の後ろから二番目。休み時間はもちろん、授業中でさえ、物思いに耽るには、なかなかのポジションだった。
シベリアンハスキーの入っていた、あの赤い檻が気になってならない。犬の顔なんて、全然思い出せないのに、鉄格子の一本一本まで、はっきりと記憶に残っていた。
(あの中に閉じ込められたら、やっぱり出られないんだろうなあ)
そのための檻だ。大きな南京錠も掛かっていた。
朝からこんな調子だった。
私は、心をどこかに彷徨わせたまま、昼休みを迎えた。
「最近、元気ないね。大丈夫?」
志帆に叩かれ、背筋を伸ばした。自分では気づかなかったけれど、言われてみれば、元気があるようには見えないと思う。
体調が悪いわけでもなく、受験勉強で気が重いわけでもなかった。
「そんなこと、ないよ」
返事はしたものの、水泳部で活動している頃のテンションがないのはわかっていた。目標にしてきた県大会が終り、張り詰めていたものがなくなった。
ペットショップが気になるのも、気持ちが不安定なせいかもしれない。
「親友の私にも言えないこと?」
志帆が小声になった。心配してくれているのはわかる。
だからと言って、昨日の出来事を、どう話せば良いのだろう。わかってもらえるとは思えない。自分自身、なんで犬の檻なんか気になるのか、わからないのだから。
会話が途切れた。
志帆は、しばらく黙って私を見ていた。ちょっと気持ちが悪かったけど、場繋ぎになるような話題が見つからなかった。
「やっぱ、島田くんのことだ」
ぽつりと漏らす志帆。
健太から告られて以来、ずっと気まずさが残っていた。ここ暫くは水泳大会に夢中だったけど、忘れていたわけではない。
健太は、初めて私を好きだと言ってくれた男の子だ。
元々は何とも思っていなかった相手だし、志帆の手前もある。付き合うなんてことはできないけど、意識しないわけにはいかなかった。
「そんなんじゃないって」
志帆に気を遣ったわけでない。
「美雪ちゃんさえ良ければ、島田くんと仲良くしてもいいんだよ」
そんなふうに思っているんだよなあ、やっぱり。
見当はずれとは言えないのかもしれない。私だって恋愛には興味があるし、男の子と付き合ってみたいとも思う。
健太は、成績も運動も、校内では五本の指に入る。ルックスだって悪くない。控えめな性格で、小柄な体型と線の細いイメージから、弟にしたいキャラの部類か。
志帆の他にも、母性本能をくすぐられるという女子は多かった。
「私のタイプじゃないの、知ってるでしょ」
その手の男の子は、どちらかと言えば苦手だった。優柔不断ではっきりしない男の子を見ていると、いらいらするのだ。
「うん、でもちょっと見直したって、言ってたじゃない」
志帆には悪いけど、健太は、女の子に告白なんてできるタイプだとは思っていなかった。だからだろうか。「僕が好きなのは華原さんなんだ」と、そう言い切った健太の声を思い出す度に、頬が熱くなる。
「それは、そうなんだけど……」
私は、健太に返事をしていなかった。
普段の私なら、その場で断っていたと思う。あまりにも意外な展開に、逃げ出してしまったままになっていた。
廊下で顔を合わせても、避けて通る毎日だ。
「いつもの美雪ちゃんじゃないみたい」
志帆に言われるまでもない。「こんなの絶対、私じゃない」って思うのだけど、どうにもならない。そんな自分が許せなかった。
「やっぱ、そうだよね」
私は、机を掌で叩き、立ち上がった。
「美雪ちゃん……」
「私、走ってくる」
志帆の目を見ないようにして教室を飛び出す。真っ直ぐに昇降口へ向かい、運動靴に履き替えて校庭に出た。
そのまま、トラックに沿って全速力で走り出す。誰も止めようとしなかった。
私は、スカートがめくれるのも構わず、走り続けた。
3
放課後、校門で志帆と別れた。家は同じ方向なのだが、志帆は、これから学習塾だった。中学三年生のこの時期、決して珍しいことではない。
まっすぐ家に帰るだけの私……受験勉強をするわけでもないのに。
歩き出すとすぐに、男子高校生の三人組とすれ違った。歩道いっぱいに広がり、アニメの話で盛り上がっていた。
制服を見なくてもわかる。北校の生徒だ。
偏差値は最低ランク。生徒たちの素行には悪い評判が絶えない。行きたくない高校ランキングの上位が定位置だった。
通行人の迷惑なんて、考えてもいないのだろう。
(バカ丸出し)
口に出さなかったのは、やはり元気がないからだろうか。
横目で見送り、家路に着くと、背後から志帆の声が聞こえた。
「あっ、だ、大丈夫ですか」
まだ、何メートルも離れていなかった。
志帆が、歩道に蹲るおばあさんを抱き起こそうとしていた。さっきの三人組の誰かと、ぶつかったらしい。
「チンタラしてんじゃねえぞ」
罵声を吐き捨て、高校生たちが立ち去ろうとする。足が自然に駆け出した。
三人組の前の回り込むと、
「あんたたち、待ちなさいよ」
両手を大きく広げて立ちはだかる。倒れたおばあさんも、寄り添う志帆も、眉をひそめて、私を見た。
「なんだよ、このガキは。誰か、知ってるか」
先頭の一人が足を止め、私を指さしたまま振り向く。他の二人が同時に首を横に振った。
(あんたらの知り合いでたまるか)
北校は、女子の制服が可愛かったのだが、これで受験する可能性がゼロになった。
「中坊が逆ナンパか」
「告白は、怖い顔でするものじゃないよ」
「お兄さんが、キスしてあげようか」
一番、身長の高い奴が、上体を倒して顔を近づけ、舌をペロリと出して見せた。今どきの草食系男子とは、真逆の振る舞いだった。
「不良の高校生なんて流行らないわ。おばあさんに謝りなさいよ」
私は、仁王立ちになって動かない。「あんたらなんか、怖くないんだから」と、背筋を伸ばした。
高笑いしていた三人組も、思いっきり不機嫌な顔つきに変わった。
「ちょっとカスッただけじゃないか。倒れるほうが悪いんだ」
「いいから、そこドケよ」
手は出さないものの、威嚇で押し通ろうとする。
おばあさんを、チラリと見る者もいた。少しは罪悪感があるのか、回りを気にする様子が見えた。通行人は、遠巻きに足を止めているだけだ。
「あんたたちが突き飛ばしたんでしょ。ゴメンの一言が言えないの」
私は、尚も睨み付けた。
「美雪ちゃん、止めなよ」と、志帆が口を動かした。
おばあさんも起きあがっていた。たいしたことはないようだ。心配そうにこちらを振り向く。目が合うと、両手を顔の前で合わせた。
「良かったね」と微笑みを返した、その時だった。
「舐めてんじゃねえぞ」
彼らの一人が、掌で私の右肩を突いた。その一言で終わりにしたかったのだろうが、
「舐めてなんかいないわ。謝れって言ってるの」
気迫で負けないとばかりに言い返す。彼らも、治まりが付かなくなっていたのだろう。私を突き飛ばしてでも、通り抜ける素振りを見せた。
人だかりが大きくなってきた。
女子中学生一人に、三人の男子高校生だ。どう見たって、向こうが悪役。しかも、悪役に徹する度胸もないようだ。
分が悪いのはわかっていても、引きにも引けないといったところか。お互いに顔を見合わせていた。
「おい、こら。何をやっているんだ」
誰かが呼びに行ったのだろう。男性教師が数人、校舎から飛び出して来た。
里見先生もいた。
「やべぇ。いくぞー」と、三人組が駆け出した。
「こらっ、逃げるな。謝っていけ」と叫ぶ私。もう声は届かない。
志帆が、事情を先生方に説明した。
おばあさんが、私に「ありがとう」と言ってくれた。結局、何もできなかったのに。
人だかりは解散になり、先生方も校舎に戻った。
「元気がなくても、美雪ちゃんは、やっぱり元気だね」
志帆が、涙目で笑いかけた。
「何よ、それ。変な日本語」
私も返した。
ろくなことではなかったけど、久しぶりに大きな声を出した。志帆ではないが、少しだけ、元気になったような気がした。
4
志帆と、今日、二度目のさよならをした。
真夏の日差しは、まだ高かった。
昨日と同じ帰り道、いつも見慣れた風景が、いつもよりゆっくりと流れていく。
商店街の外れに『ペットショップさかした』の看板が見えた。
鞄の中には、昨日借りたタオルが入っていた。夕べの内に洗濯をして、乾燥機で乾かした。きれいに畳んではきたが、紙袋に入れたほうが良かっただろうか。
入り口の自動ドアが開いた。
お店に入ると、ミニチュアロングダックスやシーズ、チワワなど、可愛い系の室内犬が、キャンキャンと騒いでいた。
小犬ばかりかと思ったら、小鳥やネコもいた。
ペットショップなのだから当たり前だけど、昨日は気づかなかった。小犬がケージの大部分を占めていたのは確かだが、きっとそれだけが理由ではないのだろう。
私はまっすぐに、シベリアンハスキーの檻の前に立った。
赤い鉄格子。扉には、閂が付いていた。鉄格子と同じ太さの鉄の棒だ。施錠用の金具に南京錠が掛けられ、犬は外に出られない。
「また来たのね」
昨日の店員が、明るく迎えてくれた。
「はい。これをお返しに」
鞄からタオルを出して差し出す。「いつでも良かったのに」と、店員は、微笑みながら受け取ってくれた。
「私は坂下玲子。お父さんのお店を手伝っているの。あなたは」
名前を尋ねられたのだと気づくのが、一拍、遅れた。
「美雪です。華原美雪。安房之浜中学の三年生です」
訊かれてもいないのに、学校の名前まで告げていた。
玲子さんは、昨日と同じ、お店の名前の入ったエプロンを付けていたやさしいお姉さんという感じだ。
「美雪ちゃんの家、犬が飼えるようになると、いいわね」
私の話も、覚えていてくれたようだ。
お店の手伝いと言っても、お父さんが来ることは滅多にない。肩書きこそないが「店長みたいなものね」と、玲子さんは言っていた。
犬のことも詳しかった。
シベリアンハスキーは、元々、エスキモーの用務犬として、飼われていたそうだ。ハスキーの語源にもなっているらしい。
「犬ぞりって見たことあるでしょ。あれがシベリアンハスキーなのよ」
玲子さんが、熱心に説明してくれた。
バランスの取れた体躯と滑らかに伸びた毛皮、精悍な顔つき、人なつっこさなどから人気になっているのだと言う。
シベリアンハスキーの他にも、いろいろな犬の話をしてくれた。とても楽しそうだった。玲子さんは、本当に、犬が好きなんだと思った。
後ろめたさが、心に残った。
犬の話を、聞きに来たわけではないのだから。
私の仕草が、名残惜しそうに見えたのだろう。帰り際には、「また会いにいらっしゃい」と言ってくれた。
笑顔で「はい」と返事をした。
入り口で、もう一度頭を下げ、私はペットショップを後にした。
街並みが切れ、川沿いの道に出る。私の家は、この先の橋を渡った住宅街の一角だ。
小犬に首輪を付け、リードを曳いて散歩をさせているおばさんとすれ違った。河原に下りて遊ばせるつもりだろうか。
私は足を止め、小犬を目で追っていた。
5
翌日、学校に行くと、昨日の校門前で事件が、話題になっていた。
話というのは面白おかしく伝わるようで、廊下を歩いていても、視線に追いかけられていた。
やましいわけでもないのに、背中がむず痒くなる。
どうやら、志帆と私が北高生にナンパされ、それを私が決定的な言い方でフッたことからトラブルになった――らしい。
クラスの何人かには真相を話したけど、後は放っておいた。
ただ、昨日の北高生は、思ったより評判の悪い連中らしい。ビビっていたようにも見えたのだが、クラスメイトの一人は「気をつけなよ」と、真顔で言っていた。
席に戻ると、志帆が、怖い顔で私を睨んだ。
「ホントに無鉄砲なんだから」
昨日から、一番、心配していたのは志帆だった。
近くの高校の生徒なんだから、いつどこで顔を合わせるか、わからない。昨日のように、先生たちが飛び出して来てくれるとは限らないのだ。
「おばあさんは、大丈夫だったんだから、いいじゃない」
私は、志帆の肩を叩いた。
「そうだけど……」
考え込んでいた志帆だが、
「まあ、いいや。美雪が、いつもの美雪ちゃんに戻ったみたいだし。ねえ、何か良いこと、あったの」
(するどい……!)
さすが親友といったところか。
でも、ペットショップの話はできなかった。志帆は、私がペットなんかに興味がないって、ずっと前から知っていた。
「別に。何もないわよ」
志帆が、上目遣いで、私を見た。
ウソだとばれていたと思う。私が強情なのは、志帆もよくわかっている。一度「ない」と言ったら、何がなんでも「ない」のだ。
「その内、ちゃんと教えるんだぞぅ」
志帆は拳を作り、私の頬に当てた。
「わかってるわよぉ」
何度なく繰り返してきたやり取りだった。
志帆は「うん」と頷くと、鞄の中から、茶封筒を取り出した。
「はい、これ。預かっていたの。美雪ちゃんが元気になったら渡してって」
志帆が両手で差し出す。
「預かったって、誰から?」
大きさや厚みからみて、手紙ということはなさそうだ。
「島田くん」
私は「えっ」という息を飲み込んだ。
健太が、志帆をフッたのだ。その志帆に私宛の封筒を預けるなんて、デリカシーの欠片もないとしか思えない。
志帆の顔を見るのが怖かった。
「私に気を遣わなくていいのよ」
なんでもないことのように、志帆は首を傾げた。
「だって……」と口にするのがやっとだった。あのことがあってから、まだ一ヶ月と経っていない。志帆は、もう気持ちの整理を付けたというのか。
「ほら、美雪ちゃん」
志帆は「開けてみなよ」と、茶封筒に目配せした。
「う、うん……」
健太の行動も信じられなかったけど、志帆のあっさりとした態度も驚きだった。
茶封筒を開ける。中身は、ポケットアルバムだった。
「あいつ!」
写真は、私の水着ばかり。
飛び込み、ストローク、ターン。きちんと二枚ずつ並べてあった。水泳部の練習から試合まで、ずっと追いかけ回していたようだ。
これでは、まるでストーカーだ。
「島田くんったら、なんでこんな写真を……」
志帆も驚いていた。
ポケットアルバムを茶封筒に戻すと、机に叩きつけた。大きな音がして、クラスメイトが振り向く。「しまった」と思ったが、遅かった。
「ごめん。なんでもないから」
立ち上がって、回りのみんなに頭を下げる。これもあいつのせいだと、握り拳に力を込めた。
6
放課後は、ペットショップに寄って帰るのが日課になった。玲子さんの厚意に甘えさせてもらったのだ。通学路の途中だったから、道草には絶好の場所だった。
何日か経つ内に、私は、お店の仕事を手伝うようになった。
と言っても、玲子さんが小犬の世話をしている間に、そのコが入っていたケージのお掃除をするくらいだ。
ペットショップにいる時間が、五分、十分と長くなっていった。
残念なことに、あの大きなシベリアンハスキーだけは、そうそう外に出すことができないらしい。私が檻の中に入って、掃除する機会はなかった。
健太のアルバムは、鞄の中だ。すぐに捨ててしまうつもりだったけど、他人に拾われるのはイヤで、そのままになっていた。
幸か不幸か、健太とは顔を合わせていなかった。
ある日のこと、ペットショップからの帰りがけに、玲子さんに呼び止められた。
「これ、あげるわ」
見ると、犬の首輪だった。黒い皮の両側が鋲で飾られ、真ん中には金属のプレートが付いていた。
私はリアクションに困り、首輪と玲子さんの顔を見比べた。
「このシベリアンハスキーがしているのと同じものなの。サイズは……」
「えっ?」
私は、びっくりして聞き返した。
「だから、サイズは、かなり小さいけど、同じデザインのものなのよ」
心臓が、どうにかなってしまいそうだった。言い直す前の玲子さんは、確かに、こう言ったはずだ。
――サイズは、美雪ちゃんに合わせてあるわ
玲子さんは、首輪をお店の袋に入れて、私のお腹の辺りに押し付けた。
躊躇いはあったけど、欲しくないわけではなかった。「ありがとうございます」と受け取り、カバンに詰めて、ペットショップを出た。
帰り道は、ずっとドキドキしたままだった。
決して持ってはいけない品物を隠しているというか、首輪を持っていることは絶対に誰にも知られてはならないというか……そんなふうに思えてならなかった。
家に着いてからも同じだった。
玄関に靴を脱ぐと、「ただいま」もそこそこに、階段を駆け上がった。
二階にある自分の部屋に飛び込む。鞄から首輪の入った紙袋を取り出し、机の引き出しの奥に仕舞った。
大きな息を吐いた。とりあえず、これで一安心だ。
私は、部屋着に着替えた。
首輪を隠し持っているなんて、もちろん両親には言えない。ご飯を食べている時も、お風呂に入ってからも、私の興奮は、冷めなかった。
夜も更け、寝るだけになった。
引き出しから、首輪を取り出す。真新しい皮の匂いがした。
玲子さんの顔が浮かんだ。
私のサイズに合わせてあるって、どういう意味だろう。
首輪を入れてあったペットショップの袋を見た。袋の真ん中には、お座りをする大型犬が写っていた。裏側には、公園の芝生で遊ぶ小型犬が数匹、描かれていた。犬たちは、どれも例外なく、首輪を付けていた。
私にも、この首輪を付けてみろ、と言う意味なのか。
首輪の金具を外した。一度も使われていない首輪は、皮も金具も硬かった。
躊躇いも手伝い、なかなか思うようにいかなかった。それでも何とか、首の周りに持っていくことができた。
くすぐったいようで、それでいて、ものすごく悪いことをしているような感覚だった。このまま金具を止めれば完成だけど、私の手は、それ以上進まなかった。
それどころか、自分のしている行為が、とても変に思えてきた。
私は首輪を外すと、引き出しの奥に仕舞い、ベッドに潜り込んだ。
玲子さんは、こんなことをさせるために首輪をくれたのではない。あのシベリアンハスキーを家に連れて帰れない私に、気を遣ってくれたのだ。
きっとそうだ。そうに違いない
それなのに、変な気持ちで使おうとした自分が、恥ずかしくなった。明日、玲子さんに会ったら謝らなくてはと、布団の中で心に刻んだ。
7
翌日、学校に行っても、首輪のことばかり考えていた。
前にもこんなことがあった。初めてペットショップに立ち寄った次の日の再現だった。志帆が「上の空みたい」と心配していた。
「なんでもないよ」と答える私。
まさか志帆に「首輪をしたことがあるか」と、訊くわけにもいかない。
机に頬杖を突き、フッと息を漏らした。
部活をやっている頃は、学校に来るのが楽しみだった。
今日はどこまで記録を伸ばせるか。ターンの時間を短縮できないか。もっと速く泳げる方法はないか。毎日、そればかり考えていた。
結果はともかく、精一杯やったと満足していた。
ずっと張り詰めていたから、目標がなくなって、気持ちが弛んでいるだけだと思う。高校受験に身が入らないのも、プールにいる時の充実感がないからだ。
そんなことを言っていられるのも今の内だけ。早く気持ちを切り替えなければと、思ってはいるのだけど……
昼休み。志帆と二人で廊下を歩いていると、正面から健太が来た。顔を見た途端、ポケットアルバムの写真の件を思い出した。
文句を言ってやりたかったけど、隣に志帆がいたから我慢した。
健太は、通路を塞ぐような、前に立った。
「何よ」と睨み付ける私を余所に、健太は、志帆の顔を見ていた。「アルバムは渡してくれた?」と確認しているのだろうか。
志帆が、横目で私を気にしながら、頷いていた。
私は、無性に腹が立った。
「何を考えているのよ」
今度は、我慢が利かなかった。声が大きくなっていた。回りのみんなが、こちらを振り向く。私は、健太の手首を掴んで引っ張った。
階段の踊り場まで連れて行く。志帆も付いて来た。
「どういうつもりよ、志帆にあんなものを預けるなんて。あなたには、デリカシーってものがないの」
私は、相当怖い顔をしていたのだと思う。健太の表情が物語っていた。
「だって、華原さんはボクを避けているし……」
「だからって、志帆に渡すことないでしょ」
私のせいで志帆を泣かした。その涙を、忘れたことはない。
「美雪ちゃん、もういいよ」
志帆が、健太との間に割って入った。自分が原因でケンカになるのは耐えられないらしい。そうだと思ったから、我慢してきたのだ。
「浦野さんには悪いと思ったけど、どうしても見て欲しかったんだ」
健太が、志帆の肩越しに、手振りを加えた。
「あんなストーカーまがいの写真を、なんで私が見なきゃいけないのよ」
自分で言っていて、違和感があった。アルバムの件は、さっきまで忘れていたし、健太の真剣な眼差しだって、ストーカーとは結びつかない。
「だから、あの写真は……」
「もう止めて。美雪ちゃんと島田くんが争うの、見たくないよ」
健太の言葉を、志帆が遮った。志帆はわかっているのだ。私が、写真の件で健太を怒っているのではないと。
「とにかく、私たちには、付きまとわないで」
私は、志帆を抱き抱えるようにして、踊り場を後にした。背中には、健太の視線を感じていた。
志帆が「ゴメンね」と呟く。
「全部、あいつが悪いのよ」と、私は吐き捨てた。
8
ペットショップに行くと、玲子さんは、いつものように明るく迎えてくれた。健太とのことでムシャクシャしていた私には、心地よい笑顔だ。
すぐに首輪の話をしようとしたのだけど、なかなか言い出せなかった。
他のお客さんがいたこともあった。
それ以上に、どう伝えたら良いか、わからなかった。
私は、シベリアンハスキーの檻の前に立った。横たわって動かない犬の首には、昨日、渡されたものと同じ首輪がしてあった。
こちらは随分前からしていたようだ。
夕べ、首輪をした時のくすぐったさが甦ってきた。犬は首輪をしても、息苦しかったりしないのだろうか。
ここに来る度に思い出してしまう。初めて会った日に、玲子さんが言った言葉だ。
――檻の中に入ってみる?
大きな南京錠が掛けられた檻。鉄格子も太くて、この中に閉じ込められたら、人間だって逃げ出せない。
檻の中に入るのなら、その覚悟をしなければならないのだろう。
このシベリアンハスキーのように、狭い場所に閉じ込められたまま、毎日、大勢の人の目に晒されるのだ。
誰だって、そんな目には遭いたくない。
頭ではわかっていても、妖しい魅力を感じてしまうのは、なぜだろう。
檻の中の空間は、私にとって、どこか懐かしいような、それでいて胸が切なくなるような、とても不思議な場所に思えた。
「昨日の首輪、試してみた?」
玲子さんに、背中から声を掛けられた。
「はい、え、いえ、その、な、なんで……」
私は、首に手を当てていた。首輪を巻いた痕がついているのだろうか。
その動作で、玲子さんは確信を持ったようだ。
「試してみたんでしょ」
玲子さんは、なんでもないことのように言った。試すって、首輪を付けること以外にはないはずだ。そう言えば、サイズはぴったりだった。
「玲子さん、私……」
私の顔は真っ赤になっていたのだと思う。
「あら、家に帰って首輪してみなかったの。このコと同じ首輪をしたら、お友達になった気分になれるわよ。ここでじゃ変だけど、自分のお部屋なら大丈夫でしょ」
玲子さんは、いつものやさしい顔で話していた。
「えっ、あっ……そういうことだったんですか」
私は、ホッとした気分だった。
「ここだけの話にしてね。私も前にそうしていた時期があるのよ。カレシとペアルックするみたいなものね」
玲子さんは、私がシベリアンハスキーに会いに来ているのだと思い込んでいる。それで、自分の体験から、アドバイスしてくれたのだ。
「首が痛かったりしないですか」
私も思い切って、訊いてみた。
「うん、最初は違和感があるかもしれないけど、それこそ首輪をしているって証だし、私なんか、一晩中ハダカで、首輪していたこともあるのよ」
「は、ハダカで、ですか」
「しっ、これも絶対内緒ね。でも、犬は服を着てないでしょう」
玲子さんが、口の前で人差し指を立てていた。知らず知らずの内に声が大きくなっていたらしい。
こんな綺麗な人が、夜中に自分の部屋でハダカになって首輪を付けていたなんて、ちょっと信じられない思いだった。
私は言葉を失い、玲子さんの顔を見ていた。
「美雪ちゃん。なんか、すごい想像をしているでしょ」
玲子さんの目が、意味ありげだった。
「そんな……」と俯く私。両手で頬を隠した。
私の妄想は、玲子さんが話してくれたような、プラトニックなものではなかったのだと思う。
ペットショップを出る時、玲子さんに言われた。
「やるんなら、中途半端はダメよ」
玲子さんには、どこまで、わかっているのだろうか。
9
傾いた日差しの中、家路を急ぐ。すれ違う人たちは、ただの障害物でしかなかった。
何度も玲子さんの言葉を思い出した。ハダカで首輪を付けた玲子さんの姿を思い描く度に、家までの道のりが遠く感じられてならなかった。
やっと家に着いた。
私は、真っ直ぐに自分の部屋に行き、机の引き出しから首輪を取り出した。留め金を外し、首に巻こうとしたところで、玲子さんの声が甦った。
――犬は服を着てないでしょう
帰宅途中から決めていた。家に戻ったらハダカになって首輪をつけようと。
この瞬間がどれほど待ち遠しかったことか。
それなのに、いざとなると指先が動かない。胸が高鳴っていた。自分の部屋で、制服のブラウスを脱ぐだけなのに、どうしてこんなに震えるのか。
私は、首輪を一度、机の引き出しにしまった。
制服から部屋着に着替えるだけだと自分に言い聞かせ、ブラウスのボタンを外していった。スカートのホックも外した。下着姿になると、肌は、かなり汗ばんでいた。この季節に早足で歩いて来たのだから、当たり前だった。
ソックスも脱いだ。
次はブラジャーの番だけど、ここでまた手が止まった。
(ホントにやる気なの?)
自分に問いつめる。答は、とっくに出ていた。
(部屋着なんだから、ブラをしなくてもいいじゃない)
思い切ってブラジャーのホックを外した。これでもう上半身はヌードだ。
ベッドに置いてある部屋着に目をやる。このまま着てしまったのでは、首輪を付ける勇気が、永久になくなってしまう気がした。
だいいち、この汗ばんだ身体では、部屋着なんて着られない。私は、犬になる決心を固め、引き出しから首輪を取り出した。
今度こそ躊躇せず首に巻き、留め金でしっかり固定した。
皮の裏側が、ごわごわと首の周りに違和感を与えた。留め金の金属部分が、首筋に冷たかった。
これで私は犬になった……
その時また、玲子さんの声が届いた。
――やるんなら、中途半端はダメよ
私はまだ、ショーツを履いていた。これも脱がないと、本当のハダカとは言えない。
あんなに綺麗な玲子さんだってやっているのだ。決していけないことをしているわけではないと、自分を励ました。
最後の一枚に手をかけた。
ショーツがお尻を離れ、太ももを滑り、脹ら脛を通って、足先から抜けた。
私……
首輪をしている私……
首輪の他に何も身に着けていない私……
ハダカの私。
洋服ダンスを開けて、ドアの裏側の姿見に、私を写した。
華奢な身体、膨らみが足りない乳房、薄い繊毛……そして、黒い首輪。
こんな格好、誰にも見せられない。
カレシとペアルックだなんて、私には全然、思い当たらない。後ろめたい感覚と、一つの物事を達成した喜びを、一度に感じていた。
長くは続かなかった。
「美雪、ご飯よ」
一階からお母さんの声がした。
私は、右手に軽く握ったこぶしを頭へ落とし、口元の筋肉を緩めた。
「はーい」と、自然に返事ができた。そんな自分に驚いていた。
今日はここまでと、首輪を外した。
身体の汗をタオルで拭き、部屋着に着替えて階段を降りた。首輪は、机の奥にしまった。名残惜しさは、拭いきれなかった。
食事をしながら、初めてペットショップに行った日のことを思い出した。
――檻の中に入ってみる?
あの時、もし「はい」と答えていたら、どうなっていたのか。
私は、その場でハダカにされ、首輪を付けて檻に入れられたのだろうか。
扉に南京錠を掛けられて、どこにも逃げられないまま、大勢のお客さんたちの目に晒されていたのだろうか。
10
翌日もペットショップに寄った。
小型犬が吠えるのは、当たり前だと思っていた。通っている内に気づいた。全部の小型犬が吠えているわけではない。吠えるのは一部の犬だけで、一匹ではないにしろ、どちらかと言えば少数派のようだ。
「相変わらず元気ね」
私がその小犬を覚えたように、その小犬も私のことを覚えてくれたらしい。吠え方に甘えが混ざっているように思えた。
私は、檻の前に立った。
いつものように、シベリアンハスキーの大きな体が横たえていた。
私が入れるスペースなどなかった。残念なような、ホッとしたような気持ちで、夕べの冒険を思い出していた。
ペットショップには、小犬たちの他に、首輪や胴輪、リードなどの装飾品、エサ皿や水皿、ドッグフードなども売っていた。
いつの間にか、品出しや陳列なども手伝うようになっていた。
「あの、いいですか」
OL風のお客さんに声を掛けられた。このお店で何度か見かけた顔だった。どうやらお店のアルバイトと間違えられたみたいだ。
「あっ、すみせん。お店の人、呼んできます」
玲子さんを呼んで、対応してもらった。これだけ毎日のように来ていて、ケージのお掃除したりしているのだから、店員と間違えられるのもムリはない。
「アルバイト料、払わなきゃならないかしらね」
お客さんが帰った後で、玲子さんが笑っていた。
「そんな、私が好きで来ているだけなのに」
正直な気持ちだった。
「そうね。でも、少しの間なら店番くらいできるんじゃないかしら」
「……はい」
「その時は、お願いね」
玲子さんとは、その後もたわいもない話をして過ごした。その日は最後まで、首輪の話にはならなかった。
「聞かなくてもわかっているわ」と、言っている気がした。
家に戻ると、ハダカになって首輪を付けたまま過ごした。
キッチンやリビングにいる時は、首輪を外して部屋着に着替え、自分の部屋に入ると犬の姿に戻る。それが日課になっていた。
最初は、首輪をしたまま机に向かったり、ベッドに横になったりするだけだった。そうしている内に、犬らしくないことに気づいた。狭い部屋の中を四つん這いで歩いたり、ジュータンの上に身体を丸めたりするようになった。
ドキドキしたのも、少しの間だけだった。
何日かして、物足りなくなった私は、犬の姿のまま、部屋の外に出てみることにした。
一階の物音に神経を尖らせながら、ドアノブに手を掛けた。いつもは気にしたことのない小さな音が、胸を締め付けた。
少しだけ開いたドアの隙間から、人の足元を覗き込むような目線で廊下を見回した。
夜の十時を過ぎていた。こんな時間に、お母さんが上がって来ることはない。
四つん這いの私が、廊下に一歩踏み出した。
じっとしていても汗ばむような季節だ。廊下の板張りが湿っぽい。空気もどんよりとしていた。適度にエアコンの効いた部屋とは、大違いだ。
胸が高鳴った。ここから先は安全地帯ではない。
お母さんに見つかったら、どんな顔をするだろう。びっくりさせるだけでは済まないかもしれない。決してバレてはならない秘め事だった。
身体が完全に廊下に出た。
階段を上る足音が聞こえたら、部屋に戻れば良い。今なら十分に間に合う。でも、これ以上、部屋から離れたら……
ゆっくりと四肢を前に進めた。もっとドキドキしたかった。
階段のところまで行って一階の様子を伺う。廊下の明かりは消えていた。テレビの音が聞こえて来た。
耳を峙てた。人の動く気配はない。
(どこまで降りられるかしら)
階段に身を乗り出し、一つだけ下の段に手を伸ばした。
一階の廊下で陰が揺れた。
息が止まりそうだった。二本足で立ち上がり、慌てて部屋に駆け戻る。ドアが大きな音を立てた。
ベッドの下に蹲った。喉の奥に溜まった空気を吐き出す。口の中が乾いていた。胸が大きく上下した。鼓動が耳に届いた。
今、ドアをノックされたら、心臓が止まってしまうかもしれない。
気持ちが落ち着くのに、どれくらいかかっただろう。
私のお散歩は、階段の上までが限界らしい。部屋の外に出るだけで、こんなにも興奮するなんて。
(このまま、お外に出ることができたら、気持ちがいいのかなあ)
そんな想いが、頭に浮かんだ。
誰かにリードを曳いてもらって道路に出る。河原まで連れて行ってもらい、そこで投げたボールを拾いに行ったり、他の小犬とじゃれあったり……そんなことをしている自分を思い浮かべた。
ハダカで外に出るなんて、そんな恥ずかしいこと、絶対にできるわけがないのに。
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