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第13話 ヌードバー

 週末の夕子は、穏やかな気持ちで過ごしていた。
 章雄と会えないのは残念だったが、細井との話で郷原の人となりに触れたこと、そして何より、診断書を手に入れたことが大きかった。
 大丈夫。万一、会社を失うようなことがあっても、会社自体が無くなってしまう訳ではない。無一文になっても、章雄に養って貰えば良い。もちろん、夕子がひどい目に遭うようなこともない。
 ただ一つの気かがりが、事故の記憶だった。

 夢を見てしまった。

 夕子は暗い夜道を走っていた。
 繁華街の裏道だった。背後を気にしながらも、振り返る余裕はない。必至に何かから逃げていた。正体こそ掴めないが、決して捕まってはいけないモノに違いなかった。
 路地の先にヘッドライトが通過した。
 あと少し。大通りまで辿り着けば人がいる。助けを求められる。
 息も切らしながら、ようやく通りに飛び出した。
 目の前に現れたベンツ。
 その運転席には郷原が乗っていた。
 記憶にある一幕だが、今まで不思議と夢に見ることはなかった。実際には記憶にもある筈のない光景だ。両親が交通事故で亡くなった晩、夕子は事故現場から十キロ以上も離れた自宅のベッドで寝ていたのだから。
 それにしても、リアルな夢だった。
 記憶と違うのは、ベンツを見るまでの行動だ。夕子は何かから逃げていた。誰かに助けを求めていた。
 事故の後は、相変わらず、何も浮かんで来なかった。
(もしかして……)
 頭に浮かんだ想像を、思い切り頭を振って追い出した。
「そんな筈はないわ」
 自室のベッドの中、誰にともなく声に出していた。

        ◇
 
 翌週は、何事もなく過ぎようとしていた。
 手形の期限まで残り二週間。郷原からは何の連絡もない。奴隷秘書のストリーキングがメッセージであることは間違いない。《契約自由化法》を持ち出した時にはドキリともしたが、夕子の手元に診断書があることを郷原は知らないのだろう。今頃、夕子が困っているだろうとほくそ笑んでいるのか。
(米倉クリニックに行っておいて良かったわ)
 夕子は心からそう思った。
 と同時に、病院に行くことを強く勧めてくれたあの子にも感謝していた。
 当のあの子はと言うと、
「郷原さん、これで終わりではないですよね」
 ややトーンダウンと言ったところか。いつも夕子を煽るようにセリフばかり言って来たあの子の目にも、郷原のふがいなさが映っているらしい。
「だから言ったでしょ。あいつは詰めが甘いんだって」
 夕子にも強気が戻っていた。
「社長も現金なものですね。奴隷秘書さんの映像を見た時はゾンビみたいだったのに」
「あなた、つくづく失礼ね」
「社長から、塩を送ってあげたらいいじゃないですか」
 夕子は少し考えた後、
「何を送れって言うのよ」
「あっ、考えましたね。塩を送る気はあるんだ」
 それが言いたかったようだ。
 夕子自身驚いていた。今のままなら郷原の思い通りにはならない。少しは手を貸してやろうかと言う気になっていた自分に。
「そんなんじゃ……」
 夕子が言い訳を考えているところへ、内線が入った。
『社長にお電話が入っています。米倉クリニックの澤野と名乗っていますが、お繋ぎしてもよろしいでしょうか』
 代表電話が転送されて来たのだ。美倉医師にはスマホのナンバーを伝えてあったから、別のルートと言うことらしい。
「いいわ。繋いで頂戴」
 夕子の頭には、先日、真知子が電話で話していた内容が甦っていた。

        ◇

 その日の夜、夕子は真知子に呼び出されるままに、とあるバーへと出向いていた。女性が一人で入るには敷居の高いバー。その名もセクシーキャット=B以前に細井が女性を伴って入店したハプニングバーだ。
(あの時の女性だったのね)
 夕子の中で謎が一つ解けた。細井が同伴した女性が真知子だったのだ。
 カウンターの隅に女性二人で腰かけた。水割りを頼む真知子に対して、夕子はオレンジジュースを注文した。
「そんなに警戒しなくても」
 意味ありげな目を向ける真知子。
「そういう訳じゃ……」(あるわよ。当たり前じゃない)
 夕子は、持ち上げたグラスを傾けてごまかした。
 地下にあるお店だ。階段を下りると重厚な鉄の扉をがあり、その内側には鉄格子と言う造りだ。警戒するなと言う方がおかしな話だ。
「こういうお店は初めてかしら」
「ええ」
「本当は会員制のヌードバーにしかたったんだけどね」と真知子。ここは真知子の店なのだと言う。と言っても雇われママ≠セが。
 カウンターの他にボックス席が四つ程ある、全部で二十人も入れば定員だろう。薄暗い店内に、ステージだけが明るくオレンジ色の灯りに照らされていた。
「それで今日は、どういったご用件ですか」
 痺れを切らす夕子に、
「焦ることはないわ。ゆっくりして行けるのでしょ」
 真知子は言うが、雰囲気に飲まれそうな夕子は、一刻も早く、この場から立ち去りたいと言うのが本音だった。
「それなら、私から先にいいですか」
「あら、何かしら」
「先日の病院でのお電話です。どなたかに郷原さんが可哀想≠ニ話していましたよね。あれってどういう意味ですか」
どなたか≠ニ言ったが、電話の相手が細井であることは間違いないだろう。
「やっぱり聞かれていたのね」
「はい。ごめんなさい」
 夕子も、立ち聞きは悪いとは思っていた。だからと言って、ここで引く気にはなれなかった。
「郷原さんが可哀想であることは間違いないのよ。でも、ここから先は口止めされているの。私にも守秘義務があるから。どうしてもと言うなら電話の相手に聞いてみて。わかっているんでしょ。相手が細井さんだって」
 真知子は言った。それがわかっているから、真知子の誘いにも乗ったのだと。
「でも細井さんは……」
 食い下がろうとする夕子に、真知子が首を横に振って見せた。決して言わないわよ≠ニ言ったところか。
「私、記憶があるんです。その場所にいた筈なんて無いのに、なぜか事故現場を目撃しているんです。運転中の郷原さんとも目が合ったような……そんなの絶対おかしいってわかっているんですけど」
 夕子は誰にも話したことのない記憶の話を真知子にしていた。
「ふーん、そうなんだぁ」
 真知子は意味深な言葉を返す。その目は、診療室にいる女医の目に見えた。
「すみません。病院に行く程のことでは」
 ないですよね、と言うセリフを、真知子に右手で制された。
「今日のところはここまでにしまょう。そろそろ始まる頃だから」
 有無を言わせぬ眼遣いだった。
「始まるって、何が?」
「ほら、来たわよ」
 真知子が首を捻る。ステージの右側からボンデージ衣装に身を包んだ女王様が姿を現した。その手に握られた鎖の先を見て、夕子は息を詰まらせた。全裸の女性が後ろ手に縛られ、首輪を鎖で曳かれていたのだ。
 女性は足を突っ張り抵抗する様子を見せていた。何か喋っているようだが聞き取れない。と言うより、言葉になっていないのか。
 逆に女王様の声だけで響いた。
「ほら、何やってるんだい。早くステージに上がらないか」
 後ろから来た巨漢の黒人に押し出され、全裸の女性がステージに上げられた。女王様が鎖を引き絞る。首輪で締め上げられた女性が体を真っ直ぐに伸ばした。全身全裸像が露わになる。Eカップはあるであろう巨乳に目を惹かれた。
 さらに驚いたことに、女性の股間には大人の女性にあるべきものがなかった。
「彼女は生まれ持っての無毛症なのよ」
 自分がどこを見ていたのか真知子に悟られ、夕子は目を伏せ、頬を熱くした。
「遠慮することはないわ。ショーなんだから、見てあげない方が失礼よ」
 ここでは確かにそうなのだろうが……
 夕子は、ステージに目を戻した。
 鎖は女王様から黒人に渡され、さらに高く首吊りの状態まで引き上げられていた。女性が何を口にしようとしているのは見て取れた。相変わらず声にはなっていないが、夕子にはわかった。あれは恐らく、

約束が違う

 ステージの奥にも部屋があるのだろう。そこで責められることは聞いていても、客席に連れ出したりはしないとの約束だったのだ。
「彼女、ここでは梨花≠ニ呼ばれているわ」
 本名ではないと言うことか。
「あの人はどうして……素人のように見えますが」
「星崎さん、鋭いわね」
「だって、あんなに恥ずかしがって」
 真知子は、一度、夕子に向けた視線をステージに戻し、
「梨花は私の患者なのよ」
 患者……?
 心療内科の患者なのか。だとしたら、
「重度の露出症なの。それもかなりのね。私が診た患者の中でも二番目かしら」
 ステージ上の梨花は黒人に抱え上げられ、ボックス席に向かってお尻を向けさせられていた。真っ白に尻肉の中央に、女の核が見え隠れしていた。
 あれも、彼女(梨花)自信が望んでのことなのか。
 夕子に理解できなかった。梨花の姿はどう見ても羞恥に震えているようにしか見えない。重度の露出症なら、むしろ他人にハダカを見られたいのではないのか。
「梨花は露出症の上にマゾなのよ」
 真知子が言うには、梨花は恥ずかしいことに興味がありながらも自分ではそれを意識していない。むしろイヤだ、避けたいと思っているのに、周りの者に無理やりされてしまう状況を望んでいるのだと言う。
「そんなことって……」
 夕子には、ますます理解できなくなっていた。
 ステージ上では、女王様がバイブレータを取り出していた。これみよがしに梨花へ見せつけると、客席に向けたお尻の中央に先端を近づけていく。梨花のその部分は、充分に受け入れ態勢を整えていた。
「このお店も、始めは私が連れて来たの。たまにこうやって彼女の露出症を解放してやらないと、どこかで暴走してしまうのよ。今でこそ、システム開発会社のチームリーダーで責任のある立場だけど、暴走なんてさせたら、すべてを失ってしまうわ」

 ――露出症は根治できない。唯一の治療方法は露出症の解放である

 美倉医師が言っていた言葉を思い出した。真知子の持論であり、それをここで実践している、つまり治療の一つという訳だ。それにしても、
「始めは、ですか」
「良いところに気付いたわね。梨花は毎月定期検診のために私の病院に来るのだけど、私のことをベテランの看護士で自分の彼女、つまり女同士の恋人だと思っているわ」
 夕子は、米倉クラニックのシャワールームで全裸の真知子に抱き付かれた時の様子を思い出した。梨花はいつもあのように扱われているのだろうか。少しだけ、真知子との距離を取ろうとする夕子だった。
「大丈夫よ。夕子ちゃんには手を出さないわ」
(また夕子ちゃん≠ニ呼ばれたわ)
 それはそうと、真知子は、やはりそういう女性なのか。関心がブレていく夕子に構わず、真知子は続けた。
「始めは私が梨花を連れて来て、女王様に調教と言う形で晒し者にして貰ったのだけど、いつの間にか梨花が一人で来るようになって、最近では会社の同僚たちと楽しんでいるようなの」
 梨花の情報は女王様からすべて真知子に流れているのだと言う。
「あんなに嫌がっているのに、ですか」
「そうよ。楽しんでいる≠ネんて言ったら真向から否定するわ。辛いんだって」
「はぁ……?」
 ステージから喘ぎ声が漏れ始めた。女王様の手でバイブが深々と挿入されたからだ。もう声を押さえることもできないらしい。
「ああっ、ダメ! ダメよ。そんなにしないで、ああ……ダメっ。こんなところでイキたくない。あぅ、お願い、許して。イカせないで」
 素人女性にしてみたら、大勢の観客がいる場所で絶頂を迎えるのは避けたいだろう。女の最も恥ずかしい姿だ。夕子だったら死んでしまいたいと思うに違いない。
 だが、女王様の手つきは微妙だった。
 何が何でもイカせてやろうと言うのではない。イキそうになると手を休め、梨花が落ち着いて来たと見るとまた責める。さすがに、これだけの人の目の中でイカせるのは酷だと思っているのだろうか。
「梨花もかわいそうに。あのバイブ捌きでは、いつまで経ってもイカせて貰えないわ」
「そんな、だって……」
 夕子は身を乗り出して覗き見る。梨花の表情が、喘ぎが、僅かずつ変化しているようだ。女王様とのやり取りにボックスシートのお客たちも吸い込まれていく。
「ああ、ダメぇー」
「何がダメなんだい」
「だ、だから、ああ、ダ、ダメなんですぅうううぅ。」
 梨花は今にもイッてしまうそうで、必死に踏ん張っているようにも見えるが、女王様の手が止まったら止まったで、首を横に振り出した。
「ああ、お、お願い」
「だから、止めてやっただろ」
「お願い……」
「なんだい。はっきり言わなきゃわからないよ」
「あぐぅ! あっ、あぁああああ……」
 イク寸前だったのだろう。絶妙のタイミングで女王様がバイブレーターを引き抜いた。
「あっ。ダメっ」
「ダメなんだろ。今日はもう終わりにしてやるよ」
 女王様が背を向ける。全裸で後ろ手に縛り上げられたままの梨花はどうすることもできない。イクにイケない身体を持て余しているだけだ。
「イカせて……」
 蚊の鳴くような声だった。
「何だって。そんな小さな声じゃ聞こえないよ」
 踵を返した女王様が、梨花の乳首を捩じりあげた。
「ひぃいいー。イカせて。お願いです。このままなんてあんまりです。イカせて。イカせてください。梨花をイカせて。お願いします」
 話がさっきと逆になってしまった。あれほど恥を掻かされるのを嫌がっていたのに、今は逆に「イカせて」と懇願している。
「ちゃんと言えるじゃないか。ほら、望み通りイカせてやるよ」
 女王様が再びバイブレーターを挿入した。だか、その先は梨花の意図する部位とは別だったようだ。
「そ、そこは……はぁう」
 バイブレーターはアナルに突き立てられていた。
「ローションなしでもしっかりくわえ込みやがって。全く誰に調教されたんだか」
「ああ、そんなのダメぇー」
「またダメかい。でももう待ってやらないよ。そのままイっておしまい」
 女王様の手が暴れまくった。
 梨花の口は意味のある言葉を発しなくなり、やがて白目を剥いて意識を宙に散らせた。
 恐ろしいものを見てしまった。それが夕子の正直な感想だった。
「梨花はあんな目に遭っても、直にまたここへ来てしまうんだ。そしてまたひどい目に遭う。もう私は必要ないのかもしれないね」
 真知子は、ステージからカウンターへと身体を戻した。
 夕子もそれに倣う。喉がカラカラに乾いていた。オレンジジュースを口に含む。今見たばかりの光景を信じられない思いだった。
 それにしても、真知子はなぜ夕子をここに連れて来たのか。まさか、梨花のこの姿を見せるためだったとも思えない。
 真知子は、人差し指の先でグラスの中の氷をかき混ぜていたが、
「私がまだ新米だった頃、未成年の女の子を診たことがあるの。その子は精神崩壊寸前だったわ。近くでコンビニ強盗があって、その子が人質にされてね。全裸で手錠を掛けられたまま街中を引っぱり回されたの。どんなに怖くて、どんなに恥ずかしかったか、想像もできないわ」
 多感な年ごろだ。本当に精神崩壊してもおかしくないだろう。
「何とか正気を取り戻すことはできたわ。でも、その前後の記憶は失ってしまったみたい。まあ、そういう治療をしたのだけどね」
 真知子の治療――例の催眠術だろうか。
「その子、今はどうしているのですか」
「普通に社会人をしているわ。後遺症らしきものも顕在化していないけど……」
 含みのある言い方だった。
「何かの拍子に記憶が戻ったとか?」
 それとも、放置しておくと、暴走する危険があるとでも言いたいのか。
「記憶を無くしていると言うのは恐ろしいもので、その子もたまたま事件に巻き込まれたコンビニに入ってしまったの。そこで店長さんにあっ、君は≠チて声を掛けられただけでフラッシュバックしてしまったみたい」
 覚えていれば決して近づかないであろう場所でも、覚えていないからこそ不用意に近づいてしまう、そういうことか。
「それで……」その後どうなったのか。
 尋ねようとしたが、真知子は、グラスに残っていた水割りを飲み干すと、
「そうだ。マリナさんが興味を持っていたわよ。星崎さんのレポート」
 一瞬、何のことだかわからなかった夕子だが、少し遅れて思い当たった。先日、問診票に続いて送った《契約自由化法》に関するレポートのことだろう。
「マリナさんって、どちらの方ですか」
「来栖マリナさんよ。ほら、あの小説に出て来たでしょ」
『私を辱める契約書を作ってください』のことか。真知子がなぜ例の小説のことを知っているのか気になったが、
「小説のヒロインがどうかしたのですか」
「あの小説は実話に基づいて書かれているのよ。来栖マリナは実在するの。今は《橘・佐藤法律事務所》のイソ弁しているわ。若いけど優秀よ。その彼女が大変興味深いって借りて行ったわ」
 もちろん、私も興味があるけどね、と続けた。
 真知子の要件はこっちだったのか。
 夕子はすっかり忘れていた。問診票を書いていた時は、診断書よりもむしろ、レポートについての意見の方が聞きいくらいだったのに。
「それで……」
 どうなるのか。今さら聞いても仕方がないような気もした。
「近い内に星崎さんを訪ねて行くかもそれないわ。その時はよろしくね」
「はい……」
 何をよろしくしたら良いのかわからない夕子だった。
 そうしている内にも、ステージでは梨花が意識を取り戻していた。M字開脚の姿で黒人に抱え上げられ、ボックス席の客に股間を晒されているところだった。
 不特定多数の人たちに至近距離から女の秘部を見られているのだ。それも今イッたばかりの湯気が出ているような有様の股間を。
 ボックス席を巡っていた黒人は、最後にカウンター席にもやって来た。
「あっ、いやぁああああーー」
 悲鳴を上げる梨花。同じ女性に見られる方が恥ずかしいのかもしれない。顔を目いっぱい捻り、堅く目を閉じていた。
 夕子の目の前にも、無毛の恥丘から女陰、そしてアナルまでもが晒された。
 思わず見入ってしまう夕子。
 梨花がステージに戻されても、ずっとその姿を追いかけていた。あれだけの仕打ちを受けたのだ。死にたくなる程の羞恥に違いない。
 これも治療の内なのか。梨花のような重度の露出症を解放してやるには、ここまでしなければならないのか。
 多少の違和感を覚えながらも、夕子の意識は梨花の姿態に釘付けだった。
 真知子が耳元で囁いた。

「夕子ちゃんもやってみる?」


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