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第3話 あーん、どうしよう

 家を出ると、里奈が待っていた。別に待ち合わせた訳ではない。家の方向だって全然違うのだ。夕べは愛美を励まそうと遅くまで付き合ってくれた。それでも心配で迎えに来てくれたのだ。
 里奈の顔を見るまで靖史のことは忘れていた。家がお隣同士なのだ。今、この瞬間に顔を合わせるかもしれない。
「おはよう。もう大丈夫だよ」
「うん」里奈が笑顔で、首を傾げた。
「ごめんね。心配かけて」
「ううん、取り越し苦労だったみたいね。マナちゃん、何かいいことでもあったの?」
「そう見える?」
「うん、とっても。さては、お兄さんとデートの約束でもしたのかな?」
 愛美は返事に困った。露出っこのことは里奈にも内緒だ。心配をよそにベランダでオナニーしていたなんて、言えるわけがない。
「まあ、いいや。学校行こう」
 里奈もそれ以上、詮索しなかった。
 学校に向かって歩き出すと、すぐにたわいもないおしゃべりに没頭していく。その光景は他の女子中学生たちと、何ら変わるところはなかっただろう。
 住宅街の路地から通りに出たところで里奈のケータイが鳴った。
 話し始めると間もなくのことだった。突然後ろから走って来た男が、里奈の手からケータイを奪い去って行った。
「あっ、待って。私のケータイ!」
 弾みで転びそうになった里奈を、愛美が抱きかかえる。と、次の瞬間には走り出していた。犯人をこのまま逃がす愛美ではない。
「こら、待て」
 狭い歩道で、人を避けながらの追い駆けっこが始まった。制服のスカートが走りにくかったが、毎日の部活で鍛えている足は伊達ではない。みるみる内に差が詰まっていく。
 男はそれに気づき、店頭に出したままになっていた空のワゴンを歩道に横倒しにした。愛美の進路を妨害しようとしたのだろう。でも、相手が悪かった。愛美はハードルの選手だ。パンチラするのも厭わず、一気にワゴンを飛び越えた。男は慌てて逃げにかかったが、その時には愛美に腕を掴まれていた。
「この男、ケータイドロボウです」
 愛美が大きな声を出した。
 人が集まって来た。里奈も追いついて来た。男は観念したように大人しくなった。
「ほら、返しなさいよ」
 男は黙ったままケータイを差し出した。
「なんで里奈のケータイなんか狙ったの?」
 よく見ると、男は同年代だった。顔見知りではなかったが、同じ中学生か、あるいは高校生か。いずれにしても、いくつも違わないだろう。こうしてみると、気弱でまじめな感じに見えた。下を向いたまま何も話そうとしない。
「もう大丈夫ですから」
 里奈が集まって来た人たちにお礼を言って遠ざける。他に人がいなくなると、ようやく男は、いや、その男の子は口を開いた。
「君のアドレスが知りたかったんだ」
「えっ、私の?」
「そうだよ。君、榊原愛美さんだろう。その子のケータイ盗めば、アドレスが分かると思って」
 愛美は大きく息を吐いた。掴んでいた手を離すと、鞄から手帳を取り出して自分のケータイのアドレスを書き込む。そのページを破って男の子に渡した。
「はい、これ。もうこんなことしないでよ」
 何も言えずに受け取る男の子。愛美は里奈の手を引いてその場を離れた。少し走ってから里奈に言った。
「ごめんね。私のせいで」
「ううん、いいよ。ケータイも戻ったの、マナちゃんのおかげだし……」
「はは、イヤになっちゃう」
 昨日の今日だ。里奈が心配そうに愛美の顔をのぞき込む。
「アドレス教えちゃって、メール来たらどうするの?」
「私がどんな返信するか、聞きたい?」
 里奈は少しだけ言葉を詰まらせたが、
「そっか。そうよね」
 二人は微妙な笑みを交わした後、学校に着くまで口を開かなかった。

 その日はずっと、夕べの露出を思い出して過ごした。
 ベランダで全裸になったこと。オナニーしたこと。そのまま眠ってしまったこと。それらの記憶が頭から離れない。脳みその容量いっぱいに膨れあがり、他のことを追い出してしまうようだ。
 靖史との出来事も、今朝のケータイドロボウも、すっかり忘れていた。
 露出っこクラブの画面を思い出す。「いつ」「どこで」「何を」「格好」の四つのボタンをクリックすることで課題が決まる。夕べ一度やっただけなので、他にどんな言葉が隠されているのかわからない。
(絶対に実行するんだから)
 愛美は拳を握りしめた。夕べの課題だって最初はムリと思った。でも結果的には実行することができた。どんな課題が出ても、きっと実行するんだ。それでなければ、あのゲームは面白くない。でも……
「マナちゃん、もう上がるよ」
 愛美はスタートラインに立っていた。部活の最中であるにも拘わらず、妄想モードに落ちていたらしい。
「えっ。うん、そうだね」
 素直に更衣室へ向かう愛美を、後輩たちは不思議そうな目で見送った。

 家に帰った愛美は、すぐにでもパソコンに向かいたかった。
 鞄を置いてパジャマに着替えると、リビングに下りた。夕食の準備ができていた。キッチンに入る。君枝の肩越しにお鍋をのぞき込んだ。今夜のメニューはクリームシチューだ。大きめに切ったジャガイモやニンジンが丸くなるまで煮詰められていた。
 箸だけ持って食卓に着く。そこにいるはずの芳樹がいない。もう一年以上になるというのに、未だに「お兄ちゃんは」と言い出しそうになる愛美だった。
「今朝ねえ、里奈がひったくりにあったのよ」
 君枝の背中に話しかける。
「それでねえ……」
 適当に相づちを打つ君枝。たいして興味もなさそうだ。
 食卓に夕食の献立が並べられた。シチュー皿に差してあったスプーンを口に運ぶ。いつもの味だった。
「あっ、いただきまーす」
 思い出したように言う。
「いただいてます、でしょ」
 君枝に突っ込まれ、愛美は舌を出した。
 食事が済み、食器をキッチンに運ぶ愛美に君枝が言った。
「いいわよ、そんなことしなくて。やりたいことがあるんでしょ」
「う、うん」
「心ここにあらずって、顔に書いてあるわよ」
 愛美は心の中で手を合わせた。
 部屋に戻ると早速ノートパソコンの電源を入れる。システムが起動するのを待ってインターネットに接続する。露出っこクラブのサイトを開いた。
 胸がドキドキしていた。
(今日はどんな課題になるのかな)
 いつどこでゲームをクリックしようとして、愛美は思い出した。夕べ、サイトの管理人にメールを出していたのだ。もしかしたら返信が来ているかもしれない。メールソフトを立ち上げる。受信ボックスが太文字になった。新着メールが届いた証拠だ。愛美がインターネットのメールを使う機会は、ほとんどなかった。
(これってもしかして……)
 緊張がにわかに高まる。「まさか」と思う気持ちと「お願い」と思う気持ちが交差した。本当はどっちが強かったのだろう。受信トレイをクリックすると、件名欄に「露出っこクラブ管理人」という文字があった。
(返事が来ちゃった)
 マウスカーソルがその上に載る。ためらいがちに上下する人差し指……
 クリック音がした。

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愛美へ

メールをありがとう。
初めての課題がベランダで全裸だったのだね。
高いところだし、道路からも見えそうで緊張したのではないかな。
よく頑張ったね。
上出来だったと思うよ。
人から露出っこの素質があると言われたのか。
それは間違いなかったみたいだね。
ベランダでの全裸オナニー、またしてみたいだろう。
いっそのこと日課してしまったらどうだい。
次はどんな課題が出るか、楽しみだね。

管理人
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 露出っこクラブからメールが来ちゃった。
 管理人さんにも、露出っこに間違いないって言われちゃった。
 私、変態になっちゃったんだ。

 愛美は、画面に表示された文字を見つめ続けた。
 電話ではなくて本当に良かったと思う。男の人の声で「君は露出っこだ」なんて言われたら、泣き出していたかもしれない。
(今日もまた課題をしなきゃいけないのね)
 管理人からメールで指示される形になってしまった。自分からやるのと人から指図されてやるのとでは全然違う。それに日課だなんて。毎日ハダカでベランダに出てオナニーしなければならないのか。
 メールの文言は提案という感じだったが、愛美にとっては命令も同然だった。
 ベランダに目をやる。暗くなったとは言え、まだ宵の口だ。実行するにしても、もう少し遅くなってからでないとできない。今の内に今日の課題を決めてしまおうと露出っこクラブのトップページに戻った。
 いつどこでゲームを表示させる。愛美は振り返ってドアを見た。まるで親に隠れて悪いことをしている子供のようだ。
(お願い……)
 愛美は何をお願いしているのだろう。「お願いだからひどい課題は出さないで」というのか、「私にもっとすごいことをさせてちょうだい」というのか。管理人から露出っこと認められたことで、少なくとも昨日より期待が大きくなっていることは間違いなかった。

 「いつ」、早朝。
 「どこで」、公園。
 「何を」、ジョギングする。

 早朝の公園……
 ジョギングならいつもしている。問題は格好だった。まさか、公園で全裸にはなれない。でも、もしそうなったら管理人にウソをつくことはできない。やるしかないのだ。たとえ、どんなに恥ずかしくても。
 愛美は大きな深呼吸を一つ。そして「格好」のボタンをクリックした。

 「格好」、Tシャツ一枚

(これって下着もなしってことだよねえ)
 朝霧の中、公園の広場にTシャツ一枚で立っている自分の姿を想像した。めまいがしそうだった。お尻が心許ないに違いない。いや、その前に下半身ヌードということか。前だって隠すものがない。そんな格好でジョギングだなんて。どれくらい走れば課題をクリアしたことになるのだろう。最後まで人に見られずに済むという保証はないのだ。
 明日の朝、それを実行しなければならない。
 愛美の手が下腹部へと伸びていく。胸の高鳴りが治まらない。ショーツの中にまで侵入しそうになって、その手の動きが、はたと止まった。
(オナニーするなら、ベランダに出なきゃ)
 愛美はパジャマを脱ぎだした。ショーツも脱いで全裸になる。部屋の明かりを消すと、昨日のように毛布を持ってベランダに出た。確認もなおざりだった。ついさっき、まだ宵の口だとためらっていたことも忘れていた。
 隅の暗がりに体を沈め、足の付け根に指を這わせる。その部分はすでに熱くなっていた。指先に滑りを感じることでますますエッチな気持ちになっていく。また蜜があふれ出す。
「ああっ、いい。気持ちいいよお」
 道路まで声が届いていたかもしれない。そんなことを気にする余裕もなくなっていた。包皮ごと押しつぶすように肉の芽をなぶる。明日の朝、実行することになる恥ずかしい行為に取り付かれ、思い浮かべては息を乱す。
「はぁん、はん、はん、あっ、はあーん」
 壁に覆われているとは言え、そこが屋外であることは間違いない。普通の女の子なら、ハダカでこの場所にいることも、ましてオナニーするなんてことも、考えられない。二日前までの愛美もそうだった。それが今、指先が生み出す刺激に狂っていた。
「ああーん。いっ、イクっ。イクっ。イッくううううぅぅぅぅ」
 愛美は今夜も意識を飛ばした。

 翌朝、目が覚めた愛美は、パジャマのままカーテンを開けた。昨日よりは少しだけ早起きだった。薄明るい日差しでも起き抜けの目にはまぶしい。朝霧で遠くは霞んでいたが、間もなく晴れることだろう。
 カーテンを引き直しパジャマを脱ぐ。スポーツブラを着けようとして思いとどまった。これから公園でTシャツ一枚にならなければならないのだ。その時ブラジャーを着けていたのでは、一度ハダカ同然の姿にならなければならない。それなら最初から着けていないほうがマシだ。
 愛美は、タンスの奥から、一番大きなTシャツを探し出した。白の無地だが、生地も厚手だった。胸回りも余裕のある造りで、丈はミニのワンピースほどもある。これならお尻まで隠れる。そう簡単にまくれることもないだろう。ノーブラの上に着てみると、それが確認できた。
 パジャマのズボンを脱ぐ。このままでもショーツが見えることはなさそうだが、愛美はジャージに足を通した。いつもの短パンにしなかったのは、Tシャツの裾が長過ぎてバランスが取れなかったからだ。裾をジャージに押し込むのは抵抗があったが、出したままでは走りづらかった。
 いざ走り出すとノーブラの胸が頼りなかった。小ぶりとは言え乙女の隆起が走りの邪魔をするのは避けられない。朋美くらい大きかったらどうなるのだろう。Tシャツの裏側に擦れたりたりはしないのだろうか。
 誰もいない早朝の公園は静かだった。汗ばんだ体にひんやりとした空気が心地よい。普段、立ち寄ることのないこの場所は、まだ眠っているようだ。それほど大きな公園ではないが、周囲は立木に覆われていて外の様子は見えない。広場の真ん中には噴水があり、それを囲むようにベンチが置かれていた。
 愛美はその一つに寄り、息を整えた。首にかけていたタオルを朝露で濡れたベンチに敷く。周囲をもう一度見回し誰もいないことを確認すると腰に手を持っていった。
(いよいよ、やっちゃうのね)
 家のベランダとも違う。ここはまさしく野外そのものだ。
 愛美の指先がジャージのゴムを捉える。この長さのTシャツだ。脱ぐところさえ見られなければ、下に何も履いていないとは考えないだろう。そうは思っても愛美の鼓動が速くなるのは押さえられない。
(ダメっ、こんなところで躊躇しては、)
 せっかくの決意が鈍ってしまいそうだ。愛美は先にシューズを脱ぎ、その上に足を乗せてジャージを膝まで下ろした。Tシャツの裾から手を入れる。ショーツまで一気に脱いでしまおうというのだ。衣擦れの音に続き、外気を下腹部に感じた。股間の奥が滑りを帯びていた。
(私……もう、感じているんだ)
 露出っこクラブの管理人からのメールも、朋美の言葉も、間違っていなかった。自分はやはり露出っこなんだ、これがその証拠なんだと思い知らされた。両手の動きが勢いづく。ショーツとジャージが重なり、二本の足首を通過した。
(まだよ。まだ、)
 夕べの課題通り、Tシャツ一枚になった愛美。だが、これで終わりでない。まだジョギングが残っていた。ショーツをジャージの中に押し込み、ベンチに敷いたタオルにくるむ。持ったまま走ったのでは脱いだことにならない気がした。
 ベンチから離れがたい気持ちを抑え、愛美は走り出した。
 Tシャツの裾から吹き込んだ風が、素肌にまとわりつく。Tシャツがゆったりとしている分、お尻を丸出しにして走っているようだ。
 ジョギングをするに、この公園内は狭すぎた。噴水の回りをぐるぐると回り続けたところで、たいした距離にはならない。愛美は公園の出入り口に目をやる。
(あそこから外に出てみようかしら)
 それがどれだけ危険な行為か、わかっていた。ここにいれば人に見つかる危険はないだろう。でも、一歩外に出たら、人とすれ違うかもしれない。いつもなら新聞配達のバイクが通る頃だ。犬の散歩だって。
(一周だけなら……一周だけよ)
 愛美は、何かに追い立てられるように、出口へ向かった。
 道路に出た。朝霧はもうすっかり晴れていた。公園に沿って左回りで走り出す。外側を一周するには二百メートルくらいか。
 こんな恥ずかしい格好で何をしているのだろう。
 誰かに見つかったらどうするつもりなのか。危険を承知で走り続ける自分を、遠くから冷静に見つめるもう一人がいるようだ。息切れも喉の渇きも、愛美の肺活量不足によるものではなかった。
 曲がり角まで来るとスピードが落ちた。向こう側に誰がいるかわからない。だからと言って足を止めてしまえば二度と走れなくなってしまうだろう。愛美は思い切った。引き返す気にはなれなかったのだ。
 次の角までの視界が開けた。誰もいなかった。こんなことをあと三回も繰り返さなければならないなんて。肉体的な疲労は殆どなかったが、胸に支えた緊張は高まるばかりだ。これがきっと、
(露出なんだ。私、露出しているんだ)
 愛美はTシャツを煩わしく感じ始めた。いっそのこと脱いでしまおうかという気持ちになる。脱げば全裸なのに。緊張と妄想の狭間に揺れていた。
 二つ目の角を曲がり、反対側の入り口まで来た。通りがけに公園内をのぞく。人影は見えない。置いてきたジャージがなくなってないか気になったが、愛美は頭を振ってその場を駆け抜けた。
 三つ目の角を曲がる。妄想の中の愛美は全裸だった。場所は学校のグランド。先生もクラスメイトも、陸上部の部員たちも見守る中を、一糸まとわぬ姿で走っていた。普段から堂々と振る舞って来た愛美は体を隠すこともできず、胸を張ってトラックを回る。みんなが見ている。それはおかしな感覚だった。
(なんだろう、これ?)
 現実とは思えない。それならば、愛美が今感じている想いは何なのか。
 そうなることを望んでいるようにも思える。誰かに強制されて、絶対に逃げられない形で実行したい……
 さまよう意識を現実に引き戻したのは、バイクのエンジン音だった。
 目の前に迫った最後の曲がり角。その先から聞こえて来るエンジン音。いつもすれ違う新聞配達のおじさんだろうか。愛美は道路脇の電柱に身を寄せた。心臓を捕まれているのかと思った。息苦しさとは正反対に、鼓動が大きな音を漏らしていく。
(あれっ、バイクが止まった?)
 公園の外周は立木に覆われていて見えない。が、このすぐ向こう側でアイドリングしているようだ。近づいても来なければ、遠ざかっても行かない。もしこちらに曲がって来たら、こんなところに隠れていても無意味だ。今の内に逃げ出した方が良いのだろうか。でも、今出て行って鉢合わせしたら……あれ、話し声? 他にも誰かいるの?
 その答えが得られることなかった。
 バイクは交差点の先を走り抜けて行った。こちらに気づいた様子はない。愛美はアスファルトに座り込んだ。腰が抜けるというのは、こういう状態を言うのだろうか。
(私、すごいことをしているんだ)
 いつまでそうしているわけにはいかない。愛美は立ち上がりゴールを目指す。結局、誰にも会うことなく、公園のベンチに戻ることができた。
 体の火照りが下腹部へと集中していくようだ。夕べ、ベランダに出た時より熱くなっていたかもしれない。不用意に近づこうとする指先を寸前で止めた。今ここでオナニーに狂うわけにはいかなかった。

 登校しても、その日は何も手に付かなかった。
 朝の体験だけが頭の中を占領していた。陸上の練習にも集中できず、顧問の先生から体調が悪いならムリをするなと言われる始末だ。だからと言って先にシャワールームへ行くような愛美ではない。いつもと同じ時間まで、いつもより高いテンションで練習を続けた。誰もが黙って見ていた。
「マナちゃん……」
 里奈には、また心配をかけてしまったことだろう。
「大丈夫だよ。何でもないから」
 こんなことではいけない。明日からまた頑張らなければと、気持ちを入れ替えて下校したつもりだった。家に着いた頃には、露出っこクラブに報告するメールのことを考えていた。
 夕食の時、君枝の視線が意味ありげだった。
 逃げるようにして自分の部屋に引き上げると、ノートパソコンの電源を入れた。

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管理人さん、こんばんは。
愛美です。

またやってしまいました。
今度の課題は『早朝に公園でTシャツ一枚になってジョギングする』でした。
ハダカではないけど、ハダカで走っているみたいでドキドキしました。
最初は公園の中だけのつもりだったのですが、勢いで外に出てしまいました。
途中でバイクとすれ違いそうになって怖い思いもしましたが、全然懲りていないみたいです。
きっとまたやってしまうと思います。
今朝は大きめのTシャツを着ていましたけど、
もし本当に全裸で走ることができたら、どんな感じなのだろうと想像しています。
できるわけがないですよね。

愛美
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 送信が完了したその瞬間から、返信が待ち遠しかった。
 メールソフトは立ち上げたまま。パジャマに着替え終わったと思ったら受信ボタンをクリックする。トイレに行って戻ったらクリック。コーヒーを入れて戻ってはクリック。
「そんな早く来るわけないわよねえ」
 液晶パネルに向かって呟いた。
 それ以前に、もう一度返信が貰えるかどうかさえ、怪しいものなのだ。
「愛美、お風呂に入ってしまいなさい」
 一階から君枝の声がした。
「はーい」
 愛美にとっては絶好の時間つぶしだった。せいぜい長湯して、その間に返信が届いていることを願った。
 それにしても、あれはなんだったのだろう。
 愛美は湯船に浸かりながら、朝のジョギングの際に浮かんだ妄想を思い出していた。みんなが見守るグランドを全裸で走っていた。死ぬほど恥ずかしいはずなのに、もっと見られていたいような、この場から一刻も早く逃げ出したいはずなのに、もっと恥ずかしい目に遭いたいような、正反対の二つが手を繋いでいる感覚。
 その正体はわからない。それなのに、とても魅力的なものに思えてならなかった。
(このお風呂より気持ちいいのかなあ)
 露出っこクラブの管理人から返信が届けば、ヒントだけでも得られるかもしれない。長湯のつもりが、結局いつもより早く上がってしまった。
 部屋に戻る。
 メールソフトの受信トレイが太字になっていた。

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愛美へ

また新しい課題に挑戦したのだね。
ベランダでの全裸オナニーはもう日課にしたのかな。
いっそのこと、野外でなければオナニー禁止というルールにしたらどうだい。
それも必ず全裸にならなければならないとか。

早朝の露出ジョギングはスリルのある体験になったようだ。
公園の中だけの予定が、外まで出てしまったのだね。
愛美はノリ出すと止まらなくなるタイプかな。
でも、女の子が外でハダカのなるのは危険なことだから、下見はちゃんとしておくんだよ。
新聞配達の時間とか、公園の回りの家はチェックしておいた方が良い。
道路に面した窓がどれくらいあるとか、
この辺りなら人に見られることはないだろうとか。

正直に話してごらん。
愛美は全裸で走りたかったのだよね。
自分に素直になるのは大切なことだよ。
できるわけがないなんて言ってないで、やってみると良い。
公園の回りを全裸で一周してごらん。

管理人
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 愛美は「正直に話してごらん」というところで、泣きそうだった。
 全裸になりたかった……
 そうなのだろうか。グランドを全裸で走る妄想も、その一つなのだろうか。どんなに恥ずかしいかわからないのに。
 魅力のある提案であることに間違いはない。
 でも、実行するには勇気だけでは済まない。それなのに、管理人さんは愛美に全裸で走れと言う。お尻まで隠れるTシャツを着ていてもあんなには恥ずかしかったのに。誰かに一目でも見られたら、言い訳のしようがないのに。

 あーん、どうしよう。

 待っていたメールで、愛美は室内でのオナニー禁止と全裸ジョギングの二つを命令されてしまった。書き方も提案よりは一歩強い言い方になっている。どうしようと言いながらも、妄想の中に落ちていく愛美は、管理人の術中に嵌っていた。
 パジャマの股間に手が近づく。愛美は全裸になってベランダに出た。
(つづく)


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