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第4話 私は奴隷……

 その夜は、なかなか寝付けなかった。
 朝の体験を思い出すだけでも興奮が冷めないというのに、次は全裸で走るように命令されてしまったのだ。そんなことはできるわけがない。でもやってみたい。やったらどんな気持ちなのだろう。同じことの繰り返しで前に進むことがなかった。
 気が付くと右手がパジャマのズボンに潜り込もうとしていた。
 でも、ベランダで全裸にならなければ、オナニーしてはいけないと決められてしまった。実際にさっきまでベランダにいたのだ。これで三日連続である。
(こんなことなかったのに……)
 明かりを消した部屋。ベッドの中で悶々と過ごす。今すぐパジャマも下着も脱ぎ捨てて外に飛び出したくなる。愛美は布団を被った。
 翌朝、愛美はTシャツに短パンという、いつものジョギングスタイルで家を出た。時間は昨日と同じくらいだった。コースは変更して、先に公園の回りを走ってみた。薄暗さは残っていたが、家々の窓からは、道路の様子が見えているのだろう。昨日は、この場所をTシャツ一枚で走ったのだ。
 誰かに見られていたかもしれない。
 昨日は、気にする余裕がなかった。公園の正面と向かって右側の道路は、反対側が個人住宅になっている。今数えたら八軒。そのどれかの住人がたまたま外を見ていたら、愛美の姿を見掛けたかもしれない。
 奥と左側は林なので心配はなさそうだ。
 胸が苦しかった。おかしな格好には見えただろうが、他に何も着ていないことまでわかっただろうか。管理人さんのメールで下見をしておくようにと書いてあったのは、こういうことなのだと思った。
 愛美は公園の外側を二周してから、いつものコースに戻った。
 家に戻ってシャワーを浴びる。我ながら健康的な体だと思った。バストは将来に期待するしかないが、引き締まったウエストには少しだけ自信がある。決して人に見せられない体ではない……
(って、誰に見せるつもりなの?)
 シャワーを止めて鏡に全身を映した。こんな格好で人前に出るなんて、そんな恥ずかしいことできるがわけない。まして、公園の回りを全裸でジョギングするなんて。
 愛美はシャワーのコックを勢いよく回し、ノズルを顔に向けた。

 学校で、廊下の向こうから靖史が歩いて来た。あれから顔を合わせていない。家も教室もお隣同士なのだ。こういうことはあると覚悟していたのだが、隣には里奈がいてくれたので気が楽だった。
「おはよう」
 愛美は、軽く手を挙げて、通り過ぎようとした。
「あっ……」
 靖史は、何か言いたげだった。愛美は足を速めた。「この間はごめん」なんて言われるのは勘弁して欲しかった。
「マナちゃん、待って」
 里奈が追いついて来た。
 いつも愛美を気遣ってくれる里奈。辛い時は一緒にいてくれる。言いづらいことでも遠慮なしに言ってくれる。愛美にとっては、かけがえのない友人だった。天然系の入ったマスクだって十分にかわいい部類である。それでいて細かいことにもよく気が付く。彼女にするなら、絶対に里奈のほうだと思っていた。
「ねえ、里奈には言い寄ってくる男の子とか、いないの?」
 廊下を歩きながらの会話だった。愛美でなければ聞けない質問だったかもしれない。
「そんな子、いないよ」
「男の子たちって見る目がないよね」
 一歩間違えればイヤミにも聞こえる発言だった。もしここに三人目のクラスメイトがいたらハラハラしていたことだろう。でも、愛美にとっては正直な思いだった。自分は外でハダカになることばかり考えている変態なのだ。
「もしかしたら、いつもマナちゃんと一緒にいるからかな」
「えっ?」
「だって、私、霞んでるもの」
 いつもの笑顔で里奈が答えた。
 愛美の足が止まった。今まで考えたこともなかった。変わらぬ足取りで進む里奈に、今度は愛美が追いつく。出てくる言葉はなかった。
「そう言えば、この間の男の子、メール来たの?」
「えっ、あ、どの子?」
「マナちゃん、アドレス渡してたじゃない」
 すっかり忘れていた。里奈の携帯をひったくって逃げた、あの男の子のことだ。愛美は名前も聞かずにアドレスを渡した。元々がそれを知るための犯行だったからだ。
「そういうこともあったわね」
 愛美は頭を掻いた。
「あきれた。その調子じゃ、喜多君のことも忘れていたんじゃないの」
「うん、ついさっきまでね」
 愛美は、軽く舌を出した。
「ひどいんだ。私が男の子だったら、絶対にマナちゃんだけは好きにならないようにしようっと」
「里奈のいじわる」
 二人は大きな声で笑った。

 自宅のベランダ。左隅の壁に囲まれた空間が、愛美のオナニー場となっていた。
 朝のジョギングは下見だけで終わった。今日はまだいつどこでゲームをやっていない。と言うより、この前のメールで管理人さんから言われた「今度は全裸で」という課題を実行しない内に、次を求めるのは失礼だと思った。
 その課題が問題だった。
『早朝に公園の回りを全裸になってジョギングをする』
 文字として書かれたわけではないが、メールの流れからすれば、こういうことなるのだろう。これができないため先に進めないのだ。
 やりたいけどできない。できないけどやりたい。
 このもどかしさから逃れる方法はオナニーしかない。妄想の中では、自分をどれだけ辱めようと自由だ。愛美は全裸になってベランダに出る。毛布一枚敷いただけの場所で、女の子の部分に指を這わせる。
(これは日課だし、管理人さんが決めたことなの)
 屋外での全裸オナニーは何度やっても愛美の脳天を痺れさせた。処女のオナニーは技術もなければ器具を使うわけでもない。それでも、ベッドの上では得られない絶頂があった。
 つい先日まで、少しだけ気持ち良くなって終わっていたオナニーも、今では、指先がふやけ、全身が汗にまみれていた。その場所が外であるというだけで、こんなにも興奮させられてしまうのか。体の芯からあふれ出る喘ぎ声を、押し殺すのに一苦労だった。
 愛美が部屋に戻ると、待ちかねていたようにケータイが鳴った。
 朋美だった。
 また連絡すると言っていた。あの日のカラオケボックス以来連絡がなかったので忘れていたが、ないのが却って不思議とも言える状況だった。
(今度は何をされるのかしら)
 愛美は不安を覚える一方で、下腹部に妖しい疼きを感じた。
「はい……」
『朋美です。元気してた?』
「はい」
『あら、ノリが悪いわね。まだ警戒しているのかしら』
「はい、あっ、いえ」
『正直だこと。いいわよ、別に。それよりどう。露出っことしての自覚はできたかしら』
「いえ、私は……」
『ハッキリしないわねえ。芳樹からは、そんな風に聞いてなかったけど』
「お兄ちゃんって」
『まあいいわ。明日は私が調教してあげるからね』
 芳樹の名前を出したのは、確信犯だったのだろうか。言うとおりにしないと、あの事を告げ口するわよと言われているような気がした。
「はい」と返事をする愛美。声は小さくなっていた。
『明日の朝五時に学校のグランドに来てね。いつもの格好でいいわ』
「えっ」
『愛美ちゃんの学校のグランドよ。いつも陸上部の練習をしているところ。朝練はないんでしょ』
「あっ、はい」
『それじゃ待ってるね』
「あのっ、何を」
 させるつもりですか、と尋ねるつもりだった。
『それは来ての楽しみ。期待していいわよ。じゃねえ』
 朋美は電話を切った。
 どういうつもりなのだろう。朋美は調教すると言っていた。それを学校でするというのだろうか。まさかとは思ったが、朋美ならやりかねない。愛美に見られているのを承知で芳樹とのセックスに耽っていたのだ。きっと何でもありなのだろう。電話での明るい声が不気味だった。
 愛美はまだ全裸のままだった。
 学校でもこんな格好にされるのだろうか。誰もいないのはわかっていても、いつもみんなと練習している場所でハダカになんかなれない……。
 明日、何をされるのかと考えることは怖かった。でも、きっとそれだけではない。この胸のざわめきは、何か別の感情によるものだ。
『期待していいわよ』
 朋美の声が耳元に残っていた。
 期待している? 私が?
 さっきの電話で、露出っことしての自覚ができたかと聞かれて、返事ができなかった。同じことを露出っこクラブの管理人に聞かれたら、素直に「はい」と答えていただろう。
 もう一度ケータイが鳴る。今度はメールの着信音だ。また朋美からだった。件名は「決定的瞬間」となっていた。
 イヤな予感がした。メールを開くのが怖かった。
『この前の写メ、送るね。かわいくて、食べちゃいたいくらい』
 ここまでは普通だったのだが、
「きゃっ」愛美は口を押さえた。
 ケータイを持つ手が震えた。添付されていた写メには、愛美が全裸でステージに立っている姿が映っていた。
(こんなの、いつ撮ったのかしら)
 全く覚えがない。朋美とカラオケに行った時は、恥ずかしさで何がなんだかわからなくなっていた。でも、まさかケータイのストロボにも気づかなかったなんて。
 それにしても、なんでこんな写真を送って来たのだろう。上半身だけだが、顔がハッキリと映っていた。胸の前で交差した腕の隙間から乳首が露出していた。こんな写真、誰にも見せられない。
 これも脅迫の一つなのか。
 今夜もまた、ベッドに入ってからの時間が長かった。

 目覚ましの音にびっくりして飛び起きる。時間はまだ四時を過ぎたばかりだった。早朝のランニングをするようになってからは早起きが当たり前になっていたが、それにしても早い時間だ。
 愛美はTシャツと短パンといういつものスタイルに着替えた。君枝を起こさないように気を遣いながら玄関を出た。
 外はまだ真っ暗だった。少し風があったが、気になる程ではない。
 学校に向かう前に公園の回りを走ってみた。外灯の届く部分だけが目立っていた。人の気配は感じられない。
 この時間ならできるかも……
 今から恥ずかしい目に遭わされるというのに、愛美はここでも露出することを考えていた。校門の手前で人影を見た時には心臓が止まりそうだった。おじいさんだ。こんなに早い時間に朝の散歩だろうか。
 白み始めた空の下でグランドの土が吹き上げられた。校舎に掛けられた時計の針は、五時まで後少しのところを差していた。
「おはよう。愛美ちゃん」
 朋美はすでに来ていた。愛美と同じ、Tシャツに短パンを着て、朝礼台の脇に立っていた。口元に浮かべた妖しい笑みに、愛美はドキッとした。
「お、おはようございます」
 まるで部活の先輩にする挨拶だった。愛美は周囲を見渡した。
「大丈夫よ。誰もいないわ。それより、夕べはよく眠れたのかしら」
「えっ、はい」
「良かった。愛美ちゃん、その格好もかわいいわね」
「朋美さんも……」
「えっ、何?」
「朋美さんも素敵です」
 本音だった。足もすらっとして長く、ボリュームのある姿態は愛美の目から見ても魅力的だ。いつも思い描いている女性の理想像にすら思えた。
「ありがとう。でも、お世辞を言っても手加減してあげないわよ」
「手加減って……?」
 愛美には何を言っているのかわからなかった。調教に手心を加えたりはしないという意味だろうか。少し違うような気もするが。
「こっちよ」
 朋美は、トラックの校舎よりに引いてある直線コースに向かった。愛美も後から着いていく。ゴールから三十メートルのラインで止まった。
「勝負しましょう。私、結構速いのよ」
 愛美を陸上部だと知っていて言うのだから、それなりに自信はあるのだろう。でも、なんで競争なんか。
「もちろん、ただの競争ではないわ。負けたら着ているものを一枚ずつ脱いでいくの」
「ええっ、ここで、ですかあ」
「そうよ。だからこんなに早い時間に出て来てもらったのよ。勝負は三十メートル、五十メートル、百メートルの三回戦。脱いだ服は、あの紙袋に入れる。帰る時も着ることはできない。以上。何か質問は?」
 やはりハダカにするつもりなんだ。しかも負けたら脱ぐだけでは済まないなんて。朋美が指した朝礼台の上には、手提げ付きの紙袋が置いてあった。でも、
「朋美さんも、負けたら脱ぐんですか?」
「もちろんよ。勝負なんだから」
 表情一つ変えるわけでもない。いつも通りの朋美だった。
「……でも、いいんですか?」
「あら、ずいぶんと自信がありそうねえ。だったらOKね」
(NOと言っても、許してくれる気はないくせに)
「スターティングブロックはないけど、条件は一緒だからいいわね」
 朋美は、軽くジャンプすると膝の屈伸と伸脚、アキレス腱を伸ばした。最後につま先を立てて足首を回す。
 愛美は棒立ちで見ていた。専門はハードルだが、短距離走もタイム的にはかなりのものだった。特に百メートルのタイムは中学生の記録水準にある。朋美が高校生であるという理由だけでは、勝負にならない。
「一回戦、行くわよ。位置についてぇー」
 朋美がクラウチングスタートの姿勢を取った。なかなか様になっていた。愛美もその隣で同じ姿勢を取る。お尻を高く上げて、いつでもどうぞという構えだ。
「よーい、ドン!」
 愛美がロケットスタートを切った。負けたら脱ぐ。そう言われては本気になるしかない。朋美の姿は見えなかった。
(陸上部を舐めないでよね)
 愛美が後ろを見た瞬間だった。朋美がスパートを切り、体半分前に出た。そこがゴールだった。
「ははっ、勝っちゃった」
 朋美がゴールラインの先で手を叩き、飛び跳ねていた。
 愛美は信じられなかった。毎日あれだけ走り込んでいるのに、素人に抜かれるなんて。スタートだって良かったのに。ダッシュもついて良い走りだと思ったのに。
「気を抜いちゃダメよ。私だって必死なんだからね」
 最後で油断したのが敗因だと言いたいのか。
「はい、私の負けです」
「よろしい。じゃ、脱いで」
 当然のように朋美は言った。そういう約束だったのだから仕方がない。愛美は周囲を見渡す。もう一度、誰もいないことを確認してからTシャツの裾に手を掛けた。こちらから見えないからと言って、本当に誰も見ていないとは限らない。躊躇する手は、愛美の視線を朋美に向けさせた。
「ダメよ。私が勘弁してあげるなんて、言うとでも思ったの」
「わかってますよ。でも次の勝負、負けたら絶対に脱いでくださいね」
「いいわよ」
 愛美は、あと二回勝ち続けて、朋美に恥ずかしい思いをさせるつもりだった。それを頼りにTシャツをまくり上げた。後は潔かった。Tシャツを持って朝礼台まで走り、紙袋に入れた。スポーツブラが、昇り始めた朝日に照らされた。
「次はここからね」
 朋美が五十メートルラインに立っていた。愛美の上半身はBカップのブラジャーだけ。素肌を撫でる空気を意識しながら、朋美の脇まで歩いた。
「私もそれくらいだと走り易いんだけどね」
 朋美のTシャツに吹き付ける風が、胸の形を強調していた。
「位置について」
 愛美の号令は、さっきの朋美より大きかった。今度は先にクラウチングスタートの姿勢をとった。
(負けるものか。絶対に勝ってやる)
 グランドに付いた指先が白くなっていた。朋美は、クスリと笑みをこぼした後、ゆったりとした動作で愛美の隣に並んだ。
「よーい、ドン!」
 勢いが良かったのは、スタートの合図までだった。
 結果は愛美の惨敗だった。気負いすぎてスターティングブロックがないことを忘れ、足を滑らせたのだ。この立ち後れは致命的だった。後半はスピードも乗り差を詰めていったものの、ゴールの前で捉えることはできなかった。
「今のは、ノーカウントにしてもいいわよ」
 朋美はたいして息を切らした様子もない。
「いいです。私の負けです」
 愛美は短パンの腰に手をやると一気に足首まで下げた。スタートのミスを誰よりも納得できないのは愛美自身だった。脱いだ短パンを片手で握り締め、朝礼台まで走る。紙袋に短パンを入れながら、奥歯を噛みしめ頬を濡らした。
 朋美は百メートルのスタートラインに向かって歩いていた。愛美はその脇を駆け抜ける。スポーツブラとショーツだけの下着姿だ。
 逆転負けをした一走目。追いつけなかった二走目。朋美が素人ではないことは明らかだ。競技会本戦のつもりで望まなければ、勝てるものではないと愛美は思った。だからこそ、だった。最後は絶対に負けられないと。
 愛美はスタートダッシュの勢いで、そのまま押し切るタイプのランナーだ。逆に朋美は中間走からラストスパートで追い上げるタイプのようだ。レースの後半で抜かれた相手をもう一度抜き返すなんて芸当は難しい。しかも一走目を見た限りでは、朋美はかなり仕掛けが遅いように思えた。愛美は自分が下着姿であることも忘れ、次の勝負に勝つことだけを考えた。
 実力では負けているかもしれない。でも、スタートでは負けていない。飛び出したら五十メートルまでは先行してペースダウン、引きつけておいて、朋美が仕掛けるより早くスパートを掛けて引き離す。愛美の立てた作戦だった。
「もう負けませんから」
 遅れてスタートラインまで来た朋美を睨み付けた。
「芳樹の言っていた通りね。ホントに負けず嫌いなんだ」
「お兄ちゃんが……」
「ところで愛美ちゃん、その格好で家まで帰れるの?」
「えっ!」と息を詰らせる。
 脱いだ服は帰りも着てはいけないルールだと言っていた。だとすれば、最後の勝負に勝っても、愛美は下着姿で帰らなければならない。外はかなり明るくなって来た。もうすぐ新聞配達も始まる頃だろう。
「最後の勝負、倍チャラにしようか」
「それって何ですか」
 愛美には、聞き慣れない言葉だった。
「つまり次の勝負で愛美ちゃんが負けたら、ブラだけでなくショーツも脱いで貰う代わりに、勝ったら全部チャラ。元通りの格好で帰れるわけ」
 朋美の提案には、不気味な予感が見え隠れしていた。今のままでは下着姿で帰ることが決定していた。でも、愛美の立てた作戦なら必ず勝てる、そう思っていた。
「どうする? 全裸もパンイチも変わらないかしら」
 どっちにしても愛美は勝てないと言っているのか。
「いいですよ。それで行きましょう」
 言ってしまった。
 愛美は、朋美の口から出た「全裸」という言葉には動揺していた。それを悟られないようにするにはハッタリしかなかった。いずれにしても、これで負けられない理由がもう一つ増えた。
「じゃ、位置について」
 朋美の声で二人がスタートラインに指を付く。
「よーい、ドン!」
 二人揃ったきれいなスタートだった。二走目のようなミスはなかった。それなのに愛美は先行できなかった。さっき立てた作戦はもう役に立たない。二人の体はほぼ並んだ状態でゴールを目指した。
(このままじゃダメ。少しでも先行しなくちゃ)
 朋美が追い上げるタイプのランナーだ。今のままゴール前まで行ったら、スパートした朋美に置いて行かれる。何とか引き離したかったが、ピタリとくっついて離れない。
 残り十メートルの地点で朋美がスパートを掛けた。
 完全な実力の違いだった。ゴールを過ぎた時点での差は埋めようもない。何度やっても結果は同じだっただろう。愛美は自分自身、最高の走りをして負けたのだ。
 朋美も、肩で息をしていた。愛美は、ゴールラインを過ぎたところで、膝に両手を付いた。不思議と口惜しくはなかった。
「思ったよりやるわね。もう少し簡単に勝てると思っていたんだけど」
 ようやく息を整えると、朋美は言った。
「あなたは誰なんですか?」
「だから朋美よ。栗田朋美。聞いたことなかったかしら」
「あっ!」
 愛美は、その名前を知っていた。去年のインターハイで一年生ながら県代表に選ばれ、三位に入賞にした高校陸上界の新星だ。勝てる相手ではなかったのだ。
「私のことより、約束果たしてね」
 大変な約束をしてしまったことを思い出した。倍チャラの罠は、こういうことだったのだ。愛美は全裸にならなければならない。しかも、そのままの姿で、家まで帰るしかなくなった。
「ずるいです。最初から勝てない勝負なんて」
「そんなことないわよ。私のことを気づかなかった愛美ちゃんが悪いのだし、ヒントは随分あげたわよ」
 今にして思えば、スタート前の柔軟運動やスターティングブロックという専門用語も、愛美に気づかせるヒントだったというわけだ。
「それに今日は元々、愛美ちゃんを調教する予定だったのよ。ただ脱がされるよりも、勝負に負けてのほうが、あきらめつくでしょ」
「ああっ」愛美は、調教の意味を理解した。
「わかってくれたようね。だったら大人しく脱ぐのよ。愛美ちゃんは私の奴隷なんだから」
「は、はい……」
 朋美の語調も変わっていた。
 あのカラオケの時と同じだ。愛美はもう逆らうことができなかった。一番得意にしていた陸上でも負けてしまった。朋美には何をしても適わない。
(私は、この人の奴隷。何でも言うことを聞かなければならないの)
 愛美は立ち上がると、お風呂に入る時のような動作でスポーツブラを外した。ショーツを脱ぐ姿は夢遊病者のようだった。毎日、夕方に練習しているグランドで、愛美は今、全裸になった。
「はい、よくできました。これは貰って行くわね」
 朋美が下着を受け取りながら言った。
 愛美は棒立ちだった。朋美は来た時のまま、Tシャツに短パンを着ている。自分だけがハダカなのだ。勝負に負けて身ぐるみ剥がれた。いや、それだけではない。ハダカにされて調教を受けるのが、奴隷の勤めなのだ。
(これから何をやらされるのだろう?)
 敗北感の中で次の言葉を待った。
「相変わらず、かわいいヌードね。うらやましいわ」
 朋美の視線が全身をなめ回した。愛美は急に恥ずかしさがこみ上げ、両手で少しでも肌の露出を押さえようと身を揉む。シューズとソックス以外何も身につけていない身では、それで隠せる部分などタカが知れていた。
「どうしたの、今さら」
「だって……」
「そんなことでは露出っこ失格よ」
「でも、恥ずかしいです」
 朋美は、そんな愛美から目を離そうとしない。恥ずかしがるのを楽しんでいるようだ。
「残念だけどタイムアップね。愛美ちゃん、その格好でトラックを一周したら帰っていいわ。今日の調教は終わり」
「この格好で、ですか」
「そうよ。私は先に帰るけど、ズルしちゃダメよ」
「……わかりました」
 ハダカで四百メートルトラックを走ることになるなんて。
 それでも今の愛美にはふさわしい罰ゲームのような気がした。これで済んで良かったとさえ思った。愛美が走り出そうとすると、
「そうそう。帰りは校門から帰ったほうが良いわよ。誰にも見つからないようにね」
 朋美はそう言い残し、愛美の下着を持ったまま朝礼台に向かった。
 グランドはかなり明るくなっていた。時間はそう残されていない。愛美は走り出した。時折強く吹く風が汗を冷やした。
 トラックの反対側まで走った時には、朋美の姿はなかった。朝礼台の上に紙袋も見えない。とうとう着るものがなくなってしまった。愛美はもうこのまま家まで帰るしかない。帰り道で人と会わない確率がどれくらいあるだろう。隠れながら帰ったとしても、それはもう奇跡に近かった。
(どうしてこんなことになってしまったの)
 トラックを一周して直線コースに戻る。グランドの外を大型トラックのエンジン音が通り過ぎていった。
 こんな格好で家までなんて帰れない。愛美は泣きそうだった。いくら朋美の奴隷だからって、女の子をハダカにしておいて、服を持って行ってしまうなんて。校門に向かうこともできず、愛美は建物の陰に隠れる場所を探した。
(そうだ。部室に行けばジャージくらいあるかも)
 愛美は走り出したが、名案もすぐに落胆に変わった。確かに着るものを見つけることはできるかもしれない。でも、部室には鍵がかかっている。昨日の帰りに自分自身で掛けた記憶がある。この格好で職員室まで行くしかないのか。
 結論を出せない内に部室棟の前まで来てしまった。体育館裏のこの建物には運動部の部室が集まっていた。どこもしっかりと鍵が掛かっている。陸上部だって……
「あれっ」声に出ていた。
 愛美は目を疑う。陸上部のドアが開いているのだ。小走りに近づくと、鍵穴に鍵が刺したままになっていた。
(誰か来ているの?)
 壁には貼り付いて部室をのぞき込む。
 やはり誰も来ていない。愛美はそれを確かめると、中に飛び込んでドアを閉めた。長イスに腰を下ろし、大きく息を吐いた。
(ああ、こんなことって……)
 緊張が解けると同時に、下腹部が異常なまでに熱くなっていた。ハダカの股間に指先が吸い寄せられていく。
(ダメよ、こんなところで)
 もう遅かった。
 理性は何の役にも立たない。愛美はここに来た目的も忘れ、女の子の部分を弄んだ。自分でも何をしているかわからない。ただ快楽だけを求めた。股間から発した熱が全身に伝わり、汗にまみれ、喘ぎ声を絞り出す。
「あうっ、あっ、イヤっ、ああ、ひいぃーーー」
 そこはもう部室ではない。愛美がオナニーを貪るためだけの空間になっていた。人が来たらどうとか、今が何時なのかとか、どうして部室が開いていたのかとか、そんなことはとうに意識の外だった。
「ああああっ、んぐぅ。はぁ、あっ、あふぅーん」
 女の子の中心にある肉の芽が、主である愛美の体を乗っ取ってしまったようだ。戸惑うことなく、甘美な刺激に身を任せた。むしろ積極的にのめり込んだ。指が暴れまくった。髪が乱れた。汗が飛び散った。
「あうっ、あうっ、あっ、あうっ、いっ、いくぅーーー」
 愛美は両足を大きく開いたまま、長いすの上に身を投げ出した。意識は宙をさまよう。どこに行ってしまったのか、見当も付かなかった。
(つづく)


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