第6話 ご主人様が怖い
家に戻った愛美は、自分の部屋に駆け上がるとベッドに身を投げた。カーテンの隙間から夜の明かりが差していた。目覚まし時計の文字盤が緑色に灯る。日付が変わるのはもう少し先のことだ。愛美は枕に顔を埋めた。
わからないことばかりだった。自分の恋人をハダカにして木から吊す芳樹。体を傷だらけにされてもキスを求める朋美。妹の目の前で愛し合う二人。
ぶつけようのないジェラシー……
愛美の手は、知らない内にスカートの中へと潜り込んでいた。何か求めているのは確実だが、その正体はわからない。それが妖しい魅力を秘めているものであることは間違いない。だからこそ、こんなに体が熱いのだ。
胸が苦しくなる想いとは別に、体の内から沸きあがる欲求は止めようもない。
脳裏には朋美の姿が浮かんだ。ベルトで打たれ背筋を伸ばす朋美。地面に全裸で横たわる朋美。芳樹の上で腰を振る朋美。絶頂を迎え恍惚の表情を浮かべる朋美。
それらはすべて芳樹の仕業だった。
あんなに怖い顔をしていた芳樹。それなのに愛美の中で少しだけ変化があった。
(お兄ちゃんにだったら、されてもいいかも)
セックスという行為を知って以来、夢に出て来る初体験の相手は、いつも芳樹だった。芳樹に優しく愛されたい。一生側にいて、かわいがって欲しい。愛美はそう願っていた。あんなにひどいこと、と思った行為でも、その後の朋美の幸せそうな顔を思い出すと、心が揺れる。
(あれも愛の形なのかしら?)
その一方で、朋美の素肌を抱きしめた感触が甦る。とても大切なものが、この腕の中にあった。今はないそれを取り戻したい。そのためだったらどんなことでもしてみせる。でもそれは、誰にぶつけたら良い感情なのだろうか。
指先がショーツの上から女の子の部分をなぶりだした。
『野外でなければオナニー禁止』
愛美は、露出っこクラブの管理人さんから言われたルールを思い出した。
(ハダカにならなきゃ)
ベッドから起き出すと、ポロシャツの裾に手を掛けた。スカートまで一気に脱ぎ捨てる。ブラジャーのホックに手を回したところで動きを止めた。
「そうだ。管理人さんに相談してみよう」
愛美は部屋の明かりを点け、パソコンのスイッチを入れた。
足下に脱ぎ捨てた衣類に目が止まる。お気に入りのポロシャツもスカートも泥だらけだった。今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。
(朋美さんはどうなったのかしら?)
パソコンが起動するまでの間、愛美はあの後のことを思い出していた。
芳樹と朋美は、二人揃って絶頂を迎えた。これで終わりだと思ったのだが、芳樹は朋美を後ろ手に縛り上げ、縄尻を外灯に括り付けた。
「お仕置きの続きだ。朝までこうしているんだな」
芳樹は、愛美の二の腕を持って立たせた。そのまま手を引いてアパートに向かおうとした。愛美はその手を避けた。
「朋美さんを、いつまでハダカにしておくの」
「だから、明日の朝までだよ」
「そんな、ひどいわ」
愛美は外灯の向こうに回り込み、ロープを解こうとした。
「お前に解けるものか。いいからこっちに来い」
「お兄ちゃん!」
愛美にはわからない。今の今まで体を合わせていたというのに逆戻りなんて。
「いいから今日は帰りなさい」
朋美の声だった。
「朋美さん……」
「命令よ。愛美ちゃんは私の奴隷でしょ。でも、これが最後かもね」
「何をごちょごちょ言っているんだ」
「ほら、早く」
朋美が怖い顔で睨んだ。
「いやあー」
愛美は何がなんだかわからなくなり、その場から走り出した。芳樹が追いかけようとするのを、朋美が止めているようだった。
「これが最後」
「これが最後」
「これが最後」
朋美のその言葉だけが、頭の中を駆けめぐっていた。
ハードディスクのランプが点滅を終えた。愛美はメールソフトのアイコンをダブルクリックする。芳樹の言葉が本当なら、朋美は今も、神社の裏の外灯にハダカで縛り付けられていることになる。
露出っこクラブの管理人からメールが届いていた。
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愛美へ
全裸で公園を一周するという課題はできたのかな。
いきなりで難しかっただろうか。
愛美なら、素質は十分だと思ったのだけどね。
下見だけでもしてみると良いかも。
それでムリなら仕方ないさ。
管理人
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少なくとも愛美のことを気に掛けてくれていたようだ。
せっかく出してくれた課題をできないままなのは申し訳ないと思うのだが、今は考えられなかった。それよりも、誰かに聞いて欲しかった。母親にも話せない。里奈にも話せない。芳樹のこと、朋美のこと、露出のこと。
愛美は、キーボードを叩いた。
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管理人さんへ
愛美です。
ご報告ができなくてすみません。
課題はまだできていません。
下見には行ったのですが、早朝でも窓から道路が見えるみたいなんです。
何か着ているならともかく、全裸でなんて恥ずかしいです。
絶対にばれてしまいます。
意気地なしの私を許してください。
でも、いつかはやってみたいという気持ちはあります。
本当です。
今日は別のご報告です。
私にご主人様ができました。
女子高生のお姉様です。
きれいでスタイルも良く、素敵な人です。
この人のご命令で、学校のグランドを全裸で走らされました。
公園の回りではできなかったのにすみません。
早朝のグランドなら誰にも見られなくて済むと思いました。
何よりも私はご主人様に逆らうことはできないのです。
ご主人様は兄のカノジョでした。
偶然、兄とご主人様のエッチをのぞいてしまいました。
それがばれてご主人様に呼び出され、私は奴隷にされたのです。
全裸でカラオケも歌わされました。
でも、ご主人様に調教されていることが兄にばれて、今度は兄が怒り出しました。
私が露出するのは反対だと。
兄はお仕置きだと言ってご主人様を木の枝に吊しベルトで打ちました。
今もご主人様は、全裸のまま外灯に繋がれています。
二人は愛し合っている筈なのに。
私は兄もご主人様も大好きです。
どうしたら良いのでしょうか。
長々とすみません。
誰にも相談することができなくて。
愛美
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送信ボタンをクリックしてから、愛美は我に返った。どこの誰だかわからない人に、こんなメールをして良かったのだろうか。ご報告と書きながら、最後は相談になっている。こんなことをメールされても困るだけだ。
だいいち、言いたいことが伝わっただろうか。思いに任せて書いてしまったが、肝心なことが抜けているように思えた。
返事は貰えないかもしれない。
管理人は課題を実行してもらいたくてメールしたのに、意に添わない返信を貰ったことになる。愛美の相談だけを押しつけるのは虫が良すぎるというものだ。
それでも誰かに聞いてもらえた。そう思うことで気が楽になった。少しだけ、元気も出た。今日はもうお風呂に入って寝てしまおうと思えるくらいには。
愛美が階段を下りていくと、リビングのドアの側で床のきしむ音がした。
(お母さんに、心配かけているよね。私……)
泥だらけの服なんか見たら余計に心配するかもしれない。そうは思ったが、部屋に隠しておいて見つかった時のことを考えれば、このまま洗濯機に入れておいた方が良いだろう。愛美はリビングの前で手を合わせた。
お風呂に入っている間も、ずっと朋美の姿を思い出していた。
芳樹のアパートから神社までハダカのまま連れて来られた。それだけでも愛美にはマネができない。その上、木の枝に吊られて……
愛美は洗い場のイスに腰掛けると、顔の前で手首を合わせ、タオルを巻き付けてみた。片方の端を口でくわえて、何とか縛ってみる。拘束感はないが、格好だけはついた。
(こんな感じだったかしら)
立ち上がり、鏡に向かって両手を頭の上に上げてみる。湯気で曇ってはいたが、裸身がくまなく映っていた。恥ずかしい部分をどこも隠すことができない。このまま足が宙に浮いてしまったら全くの無防備だ。
胸が高鳴った。体を打たれるのはイヤだが、吊されるだけならされてみたい気がした。
(ヤダっ。私ったら何を考えているんだろう)
愛美は手を下ろすとタオルを外した。簡単に取れた。朋美は自分では解けないように縛られていた。きっと今も……。
胸の高鳴りは、当分治まりそうになかった。
お風呂から上がると、パジャマに着替えてベッドに入った愛美だが、結局我慢できずにベランダに出た。もちろん全裸になって。
(ホント。日課になっちゃった)
こんなに毎日オナニーばかりしていて良いのか不安になる。特に今日は、朝も部室でしたばかりだ。
「あっ!」
愛美は、今になってやっと気づいた。『野外でなければオナニー禁止』のルールを破っていたことに。股間を弄びながら、管理人さんにお詫びしなければと思う愛美だった。
(私もお仕置きされたりして)
指の動きが激しくなる。この一角に隠れていれば人に見られることはないが、喘ぎ声はそうはいかない。路上まで漏れているかも、下にいる君枝が気づくかもと気になってならない。それでも指が止まらない。愛美は自分が吊されているところを妄想した。お風呂場での実験が、妄想をリアルにしていた。
翌朝いつもの時間に起きると、パソコンの電源だけ入れて家を出た。公園がランニングコースに組み入れられていた。家々の窓が気になる。やはりここをハダカで走るのはムリだと思った。でも、もし露出っこクラブの管理人から返信が届いていて、相談の答えになるようなものだったら、ムリでも何でも、絶対にやり遂げようと心に決めた。
家に帰ると君枝が起きて朝ご飯の用意をしていた。いつものことだ。「おはよう」とだけ声を掛けてお風呂場向かう。洗濯機が回っていた。君枝は気づいただろうか。
部屋に戻ってメールを受信する。
「お願い!」
愛美は声に出して祈る。果たして管理人からのメールが届いていた。
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愛美へ
大好きなお兄さんをご主人様に取られて、
大好きなご主人様をお兄さんに取られた、
わけだね。
愛美の切ない気持ちが伝わって来るようだよ。
二人とも愛美のことを愛してくれていると思うけど、愛美の求めている愛とは違うのだね。
前にも書いたけど、女の子が外でハダカになるのは危険なことだ。
お兄さんとすれば、妹がそういうことをするのは許せないだろう。
私からしても、愛美に露出のパートナーがいてくれたほうが安心なんだ。
お兄さんだって、ご主人様が付いていてくれたほうが良いはずだよ。
愛美は、どうせ一人でも、露出をやめることはできないだろうから。
わかっていても許すことはできない。
それが肉親というものだよ。
ご主人様とよく話し合って、お兄さんに心配かけないような露出を心がけることだ。
大丈夫。きっとわかってくれるさ。
愛美の気持ちがお兄さんに通じることも、ご主人様に通じることもないのは残念だけど、
今はそのままの気持ちを大切にしていれば良いと思う。
それも愛美に素敵なカレシが現れるまでのことだ。
もう近くにそういう男の子がいるかもしれないね。
管理人
PS.私からの課題もがんばってね。
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最初の二行を読んだだけで、愛美は泣いた。
まさにその通りだった。自分では認めることができない事実を端的に言い当てられた。「露出のパートナー」だとか、「肉親の情」だとか、分かり切っている言葉でトドメを刺された。しかも、その気持ちを大切にしろ、だなんて。
最後の「素敵なカレシ」というのは見当違いだが、愛美の心に一つの区切りをつけることができた気がした。
(私はお兄ちゃんが好き。朋美さんも好き。露出も止めない)
早速、お礼のメールをしなければマウスを持った時、ケータイが鳴った。
朋美だった。
「もしもし、朋美さん」
夕べからずっとあのままだったのだろうか。
『愛美ちゃん、大丈夫?』
「はい、私は。朋美こそ大丈夫なんですか」
『ええ、やっと今帰って来たわ。芳樹は寝ちゃったんで電話したの』
「ずっと縛られていたんですか?」
『そうよ。あんなところを見せられて、愛美ちゃんが落ち込んでないかと心配だったんだけど、案外強いのね』
愛美はまた目頭が熱くなった。朋美はずっと愛美のことを心配してくれていたのだ。自分がひどい目に遭っているというのに。とてもそんな余裕なんかあるとは思えないのに。
「ありがとうございます。落ち込みましたけど、相談できる人がいたので……」
『そうなんだ。良かったわ。今度、その人にも会ってみたいわね』
「それはムリです。ネットの中の人ですから」
『えっ、ネットって?』
「露出っこクラブというサイトの管理人さんです」
『ええっ。愛美ちゃん、あのサイトに出入りしていたんだ』
「はい。と言っても、この前、朋美さんとカラオケに行った日が最初ですけど」
愛美は、朋美から「露出っこの素質がある」と言われてネットを検索したことを話した。いつどこでゲームをして課題を実行したことも。
『そっか。露出っこクラブって、芳樹が出入りしていたところなんだよね。愛美ちゃん、あそこの管理人に相談したんだ』
「そうなんですか。お兄ちゃんが」
『うん、だからね。私をハダカにして外に出したりするのよ。あっ、そうだ。肝心なことを忘れていたわ。愛美ちゃん、芳樹のことを誤解してないかしら』
「誤解……ですか」
『そう。女の子を吊して叩いたり一晩中ハダカで外灯に縛り付けておいたりするひどい人だって』
「それは……」
愛美は、ずっと疑問に思っていたが、口には出せなかった。
『やっぱりねえ。でも、イジメとか虐待とかではないのよ。世の中にはこういうことをして楽しむカップルもいるの。わかって貰えるかしら』
「朋美さん、変態なんですか?」
言ってしまってから「しまった」と思ったが遅かった。愛美は口に手を当てたが、お互い電話なのだから見えるわけもない。
『そうね。そういう言い方もあるわ。さすがに今回はマジでお仕置きが入っていたからきつかったけど。芳樹にしてみたら、妹を露出の道に巻き込んだ悪い女だったのでしょ。それに私のこと、ひどいことをされた後でもよがり声をあげるような変態女だって知れば、愛美ちゃんが幻滅して露出を止めるって考えたんだと思うわ』
「それじゃ朋美さんは利用されてだけじゃないですか」
『愛美ちゃんのためにやったことよ』
「それでも、ひどいです」
愛美は朋美にひどいことをした芳樹を責め、朋美のその芳樹を弁護している。何かが違うとは思いながらも、それが何だかわからなかった。
『朋美ちゃん、私と芳樹のセックスを見たよね』
「えっ、は、はい」
『二回目だよね。何か気づかなかったかしら』
「ごめんなさい。私、見る気は……」
『責めているのではないのよ。芳樹は私のおっぱいが好きなの。でもこの前は全然揉んだりしなかったでしょ』
「あっ」そうだったと、愛美は思い出した。
朋美の乳房が大きく揺れているのは見たが、言われてみれば芳樹は手を触れていない。クローゼットからのぞき見た時は、愛美の胸が痛むほどご執心だったのに。
『私の体が傷だらけだったからよ。芳樹はちゃんと気を遣ってくれてるの』
「でも、それは……」
『そうね。自分でしたことだもの。当たり前か。でもレイプ犯とかだったら、気にしないわよね』
愛美の耳に芳樹の言葉が甦った。
「俺は朋美を愛している」
涙がこぼれた。朋美の言っていることが、すべて理解できたわけではない。それでも、出口が見えた気がした。
(やっぱり、二人は愛し合っているんだ)
胸に熱いものがこみ上げた。でも、まだそこには痛みが伴っていた。そんな思いをまとめてひっくり返すような言葉が、ケータイから飛び出した。
『愛美ちゃんにも教えてあげるよ』
朝からの長電話で、愛美は学校を遅刻そうになった。君枝の放任主義も良いが、こういう時は一言声を掛けてくれれば良いのにと思うのは、わがままだろうか。毎日、陸上部で走り込んでいるのが、思わぬところで役に立った。
「マナちゃん、遅い!」
下駄箱の前に、里奈が待っていた。
「ごめん、ごめん」
そこからは二人して廊下を走った。教室の前で出席簿を抱えた担任と出会う。ギリギリセーフには違いないが、怖い目で睨まれるのは避けられなかった。
「今朝はどうしたの?」
次の休み時間に、里奈が聞いてきた。
「うん、ちょっとね」
愛美はケータイを耳に当てる素振りを見せた。
「マナちゃんが長電話? 珍しいわね。誰と話していたの?」
「だから、ちょっと」
「怪しいわね。白状しなさい」
「そう言われても……」
朋美のことをどう説明すれば良いのか、わからなかった。
「いつかの男の子だったりして。ほら、あのアドレス渡した」
「違うわよ」
「わかった。それじゃ喜多君だ」
「もう、怒るよ」
「じゃあ誰よ。親友の私にも言えない人なの?」
いつになく追求がきつかった。他に話題がなかったと言えば、それまでなのだが。
「最近知り合った高校生のお姉さんよ」
「お兄さんの間違いじゃないの?」
「だからあ、そんなんじゃないって」
「じゃあ、どういう人よ」
どういう人だろう。朋美は芳樹のカノジョで、愛美のご主人様。もちろん里奈に、そんなことは言えない。言っても信じて貰えるかどうか。愛美が芳樹を一人の男性として愛していることは、里奈も知っていたが。
「マナちゃん……?」
里奈が愛美の顔をのぞき込んだ。返事がないのを不審に思うのもムリはない。二人の会話に、こうしたケースは滅多になかった。
「うーん、何て言ったら良いのかなあ」
「そんなに難しいの?」
「そうじゃないけど、ちょっと面倒くさい関係なのよねえ」
愛美はまた黙ってしまった。思わず口に出た言葉だったが、我ながら上手いことを言うものだと思う。芳樹と朋美と愛美。本当に面倒くさい三角関係だ。
「ふーん、そうなんだ。まあ、いいわ。その人に言っておいてね。私が妬いてたって」
「えっ、何それ?」
「だって、さっきからマナちゃん、その人のことばかり考えてるみたいだし。それにすっごく嬉しそうなんだもん」
里奈が首をよそに向けた。
「マジ?」
今度は愛美が里奈の顔をのぞき込む。
「マナちゃんなんか知らない」
「あーん、許してぇ。キスしてあげるから」
「ダメっ、許さない」
「里奈。里奈ちゃんったらあ」
面倒くさい関係はここにもあったのだと、愛美は思い出した。
部活を終えて家に帰る。君枝と一緒に夕食を摂った。
お風呂に入った後は、リビングでテレビのバラエティものを見て過ごした。洋風の家具調コタツが座卓代わりだ。ソファーを置くほど広くはない。絨毯の上に座椅子とクッションを置いて体を投げ出すのが愛美のスタイルだった。
いつの間にか、片づけモノを済ませた君枝が、隣に来て座る。行儀が悪いと注意するでもなく、テーブルに缶ジュースを置いた。
久しぶりにのんびりした気分だ。
「ねえ、お母さん」
「ん?」
君枝は湯飲み茶碗に口を付けたまま、テレビの画面から目を離さない。
「ううん、何でもない」
愛美も視線をテレビに向けた。これはきっとデジャブーではない。幼いときから何度も繰り返した当たり前の光景なのだ。
テレビ番組が特に面白かったというわけではないが、その夜は、君枝が「もう寝ようか」と言うまでリビングにいた。
部屋に戻るとパソコンを付けた。
朝の電話で朋美から言われたことが二つあった。一つは「愛美ちゃんにも教えてあげるわ」というあれ。何となくは想像できるものの、我が身に降りかかるものとしてはありがたくないような、それでいて少しはのぞいてみたいような気がした。
もう一つは、露出っこクラブの管理人にお礼を言うことだった。相談をなおざりにせず、しっかりと答えてくれたのだ。愛美は、返事を貰えたら公園を全裸で一周すると、決めていた。十分過ぎるほどの回答をもらったのだから、絶対に実行しなければダメだと言われてしまった。
オナニー禁止のルールを破ったことも、報告して罰をもらいなさいとも言われていた。どんな罰をもらっても、必ず実行させてあげるからと、念を押された。
愛美は、今日一日考えないようにしてきたことを、一気に思い出した。
元々、お礼のメールはするつもりでいた。朋美から電話があって、時間がなくなり、今になってしまったのだ。
あの時メールしておけばと後悔した。管理人から罰をもらうのが怖かった。
朋美からの電話も、掛かって来た時はあれほど嬉しかったのに、最後のほうは怖くなっていた。とんでもない人をご主人様にしてしまったような気がしてならなかった。決してイヤではない。むしろ、いつも一緒にいたいとさえ思うのに……
(私に何を教えるつもりなの?)
いつも愛美の先回りをする朋美。野外露出だけではない奥の深さを感じさせた。これから愛美を一つ上のステージへ連れて行こうとしているのだ。管理人へのメールが、その第一歩なのだろう。
愛美はメールソフトを立ち上げた。
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管理人さん、こんばんは。
愛美です。
お返事ありがとうございました。
あんなにご丁寧なお返事を頂けるとは思ってもみませんでした。
おかげさまで気が楽になりました。
ご主人様ともお話させて頂いて、お礼のメールをするように言われました。
本当にありがとうございます。
白状しますと、管理人さんにお返事を頂けたら、何が何でも全裸で公園を一周する課題を実行するつもりでした。
絶対にムリだと諦めていたのですが、ご主人様にも命令されてしまいました。
必ずやらせて頂きます。
ああ、でも恥ずかしいです。
もし誰かに見られたら、この町にいられなくなってしまうかもしれません。
そんな弱気ではいけないのですよね。
やると決めたのですから。
もう一つご報告があります。
オナニーのことです。
野外でなければオナニー禁止と言われていたのに、私はそれを破ってしまいました。
学校の部室で、してしまったのです。
ご主人様にお話したら、管理人さんに報告して罰をもらうようにと言われました。
お手数ですが、よろしくお願いします。
私に罰をください。
どんなものでも、ご主人様が必ず実行させると言っています。
怖いです。
ハダカで登校しろと言われたら、本当にそうしないと許してもらえないでしょう。
管理人さんにお任せします。
どうか愛美を導いてください。
よろしくお願いします。
愛美
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愛美は自分で書いたメールを見直した。こんなことを書いてしまって良いのだろうか。本当にハダカで登校しろと命令されてしまうかもしれない。そんなことができるわけがないのに。「厳しい罰を与えてください」と書くべきだったのだろうか。
でも、どうしてもそれだけは書けなかった。
(朋美さんとの約束だもの。これくらいは書かなきゃ)
愛美は送信ボタンの上にカーソルを載せると目をつぶった。
「えいっ」と、人差し指に力を入れる。
画面のメッセージは、メールの送信が完了したことを告げていた。
(つづく)
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