第6話 愛玩犬
1
昨日は、いろいろなことがあった。
ワンちゃんのバスタブで身体を洗われたり、一日の内に二人とキスしてしまったり。
健太のヤツ、今頃、どうしているのだろう。
カーテンの隙間から、射し込む日差しが高くなっていた。ベッドの中で、朝寝坊を楽しんでいられるのも、今の内だけかもしれない。
枕元の携帯電話に目を落す。
土日は、本当のアルバイトが来るからと、玲子さんは言っていた。私に考える時間をくれたのだと思う。本当に、犬になって、生きていけるのか。
今すぐ檻の中に戻りたいと思う。その一方で、健太からの電話を待っている。
どちらも、偽りのない気持ちだった。
(健太のヤツ、悩み事を増やさないでよ)
携帯電話が鳴ったのは、私が睨み付けるのと同時だった。
『美雪ちゃん、起きてる?』
着信は、志帆からだった。声を聞いた瞬間に、用事ができるかもと、言っていたのを思い出した。
「大丈夫だよ。どうしたの?」
『これから会えるかな。一時に、いつもの橋で』
胸に甘酸っぱいものが下りた。志帆の家と、ちょうど中間くらいにある橋。待ち合わせに、よく使う場所だった。そこは、昨日、健太とキスをした場所の近くだった。
「いいよ」と答えて電話を切る。
取りあえず、予定ができて良かった。何もなしで週末を過ごすのは長すぎる。アルバイトはなくても、ペットショップに顔を出してしまいそうだ。
ベッドから出た。大きく伸びをした時、もう一度、着信音が響いた。
(健太だ!)
にわかに胸が騒ぎ出す。昨日の今日だ。用件は察しが付いた。
『華原さん、おはよう。昨日は、俺……あっ、あのぅ、迷惑だったかなぁ』
電話をもらうのは初めてだった。
「ナンバーを教えたんだから、迷惑じゃないんじゃない」
我ながら可愛げがないと思う。なんで素直に「待っていたわ」と言えないのだろう。
『良かった。あ、あのさ、良かったら、午後からどっか遊びに行かないか。良い天気だし、華原さんの好きなところでいいからさ』
声がうわずっている。最初こそ口ごもりもしたが、残りは一気に言い切った。まるで、何ども練習したように。
志帆との約束を思い出した。
「あっ、ゴメン。今日は先約があったんだ」
健太の落胆が、ダイレクトに伝わってきた。
『そっか。そうだよなあ。俺、バカみたいだ。一人で舞い上がっちゃって』
「だから、今日は」
フォローを入れようとしたのだが、
『いいよ、気にしなくて。休日にデートだなんて図々しいよね。月曜日には、また華原さんの顔が見られるのに、俺、勘違いしちゃったみたいだ」
キスのことを言っているのか。「そんなことない」と言おうしたが、口から出たのは別の言葉だった。
「そうよ。私にだって予定があるんだから」
『悪かったよ。でも、俺が華原さんを好きなことには変わりないから、じゃあ』
電話が切れた。「ちょっと待って」と言う暇もなかった。
先約があったのはウソじゃない。健太と会うのがイヤだったわけではないのに、そっちのほうこそ勘違いしている。
私は、携帯電話を見つめた。
「でも、明日なら……」なんで、その一言が言えなかったのだろう。勝手に決めつけている健太にも腹が立った。
もう少し早く誘ってくれれば、志帆のほうを断ることだってできたのに。
(あんたがグズだから、いけないのよ)
私は、ベッドに腰を落し、携帯電話を放り出した。
2
タンクトップにホットパンツ。真夏の普段着仕様で家を出た。
髪は下ろしていた。
お母さんには、志帆と遊んで来るとだけ、言っておいた。相手が健太だったら、私は何と言って、家を出るのだろう。
日差しがきつい。帽子を被ってくれば良かったと後悔した。
待ち合わせの橋に着くと、志帆が待っていた。涼しげな、ミニのワンピースだった。私を見つけて、軽く手を振る。
こうして見ると、志帆もなかなかの美少女だ。
「ゴメンね。呼び出して」
「ううん、こっちこそ、お待たせ」
家を出る時には、志帆と約束しなければと、少しだけ恨んだりもした。でも、志帆の笑顔を見た途端に忘れていた。
「会ってもらいたい人がいるんだ」
志帆が、橋の向こう側に目を向けた。川沿いの道に、女の子が立っていた。体格がいい。女子高生だろうか。
「あっ」と思った時には、三人の男子高校生に囲まれていた。
「あれ、この前の……」志帆の声が震えていた。いつか、校門の前でおばあさんを突き飛ばした北校の三人組が、女の子に絡んでいた。
声までは聞こえないが、女の子が嫌がっているのはわかる。
「ちょっと、あんた達、何やっているのよ」
私は駆け出した。
不良三人組の後ろに迫る。一番長身の男子が、女の子の手を掴もうとしていた。
「何だと」三人が、揃って振り向く。私の視線は、彼等を素通りしていた。
「大島さん!」
私と水泳の県大会決勝を争った相手だ。なぜここに?
「私が呼んで、来てもらったの」
志帆が追い付いて来た。「なんで」と思ったが、それどころではない。
「また、お前か。でしゃばり女め」
長身の男子が、大島さんの腕を掴んだまま、見下ろす。相手は男子高校生。目の前で凄まれると、さすがに迫力があった。
「その子を離しなさいよ。私の知り合いなんだから」
「何だと」と、足を踏み出すのを、小柄の一人が抑えた。
「それは、ちょうど良かった。三対三になったところで、遊びに行こうぜ。中坊のお前等にも、いい思いをさせてやるよ」
白い歯をのぞかせていた。他の二人が「くくくっ」と下品に笑う。
「それとも、お前等、揃ってバージンか」
高笑いが癇に障った。
「バッカじゃないの。早く消えなさいよ」
言い過ぎたかもしれない。不良たちから、笑いだけが消えた。
夏の暑い盛りだ。河原で遊んでいる子供たちもいない。元々、通行人の多い道でもなく、大声を出しても、届く範囲に人影はなさそうだ。
「いい度胸じゃないか。この前のように、飛び出して来てくれる先生様もいないぜ」
不良たちの体重が、つま先に掛かったようだ。
「勘違いしないでね。あれは私を止めに来たの。あんたらのためにね」
顔を見合わした三人だが、すぐに私へ向き直った。
「フカしてんじゃねえぞ。チビのクセに、カンフーでも使うって言うのか」
リーダー格の男子が、肩を怒らせた。
長身の男子が、大島さんの腕を離し、カンフーの手真似をする。もう一人が「きゃー怖い」と、おどけて見せた。
「腕力で、あんたらに勝てるわけがないでしょ頭、悪いんじゃない」
すかさず、言い返す。
「何だと」と、長身の男子が身を乗り出す。リーダー格が抑えた。手を離された大島さんは、逃げるでもなく、おどおどしていた。
「ハッタリが過ぎると、大けがするぜ」
リーダー格の男子は、不思議に思っているはずだ。何の後ろ盾もない中学生の女の子が、不良高校生三人相手に、なぜここまで突っ張れるのか。
「そう思うなら、試してみなさいよ。ここにちょっと傷を付けるだけでいいんだから」
私は、指先で頬を撫でた。
後ろの一人は、ビビリ出した。長身の男子は、相変わらず、息巻いていた。リーダーが挌は、あごを引いて私を睨み付けた。
「お前、俺たちに輪姦{まわ}されても、ツンで通すつもりかよ」
リーダー格の言葉にも、勢いがなくなっていた。
「そんなのわからないわ。されたこと、ないもの」
ここが勝負だと思った。だからこそ、正直に答えてやった。これで良かったのか。
結果は、すぐに出た。
リーダー格の舌打ちに、肝が冷えた。
「つまんねえ女だな。おい、行こうぜ」
三人組が、背中を見せ、歩き出した。長身の男子は「最近の中坊は、目上に対する礼儀を知らん」などと、最後まで悪態をついていた。
3
志帆が駆け寄って来た。緊張が解けたせいか、目から涙が溢れそうだった。
大島さんも近づいて来た。
「ありがとう。助かったわ。華原さんって勇敢なのね」
落ち着いた声だった。大きいのは身長だけではないのだろうか。志帆と話をするより、ずっと大人に感じられた。
「そんなことないよ。あいつらが許せないだけだって」
親指を立てて、三人組を指さした。「それより今日は?」と、志帆に向き直る。
「美雪ちゃん、水泳止めるかもって言ってたでしょ。高校に入っても続けて欲しくて、大島さんに来てもらったの。ライバルの顔を見れば、闘志が湧くんじゃないかって」
志帆なりに、心配してくれたらしい。それにしても、いきなり呼びつけるなんて。私でさえ、大島さんとは、まともな会話をしていない。
志帆は、初めてしゃべったのではないだろうか。
大島さん大島さんだ。成田からでは交通の便も悪い。わざわざ来てくれるなんて。
「華原さん、水泳を止めるつもりなの」
こんな展開は、予想してなかった。とりあえず、話題を逸らそうと思った。
「ここは暑いわね。ファミレスにでも入らない」
「それはいいけと、街に向かったら、またあいつらに会いそうだし……」
志帆の心配はもっともだ。
「だったら家においでよ」というわけで、私の家に二人を連れて行った。
私の部屋で、ジュースを飲みながら、話した。
大島さんは、すでに進学する高校を決めていた。見学にも行き、水泳部の顧問にも会って来たと言っていた。県大会優勝の大型新人だ。学校側も期待しているのだろう。
わざわざ自慢話をするのも、私に刺激を与えるためなのか。
水泳が嫌いになったわけではない。ただ、他にやりたいことができたのだと、説明した。「何がしたいの」と訊かれたが、答えるわけにはいかない。
「もう一度、よく考えてみるよ」
最後には、そう締めくくるしかなかった。
大島さんはいい人だ。短い時間だったけど、ずっと前からの友だちのような気がした。水泳を続けるなら、越境してでも同じ高校に行こうかと、心が動いた。
「島田君とは、遠距離恋愛になっちゃうね」
志帆が、いたずらっ子の顔になっていた。はっきりしない私への、ちょっとしたレジスタンスだったのかもしれない。
「華原さん、カレシ、いるんだ」
大島さんも乗ってきた。大人に見えても、同年代。男の子に興味があるのは当然か。
「全然、そんなんじゃないよ」健太とのキスを思い出し、顔が火照った。
「美雪ちゃん、顔が真っ赤だよ。島田君と何かあったの」
「ない、ない。あいつは、ただのエッチだし、水着の写真を撮りたいだけだよ」
横目で大島さんを気にしながら、両手を突きだして、掌を広げた。
「やっぱ、いるんだ。カレシの写真、有ったら見せてよ」
抵抗しても、ムダなようだ。
「カレシじゃないんだけど……」などと言いながら、鞄からポケットアルパムを取り出す。「カレシの写真」が健太の顔写真だと気づいたのは、大島さんが、アルバムを開いてからだった。
「ねっ、エッチでしょ。こんな写真ばかり撮って」
大島さんは、真剣な目つきになっていた。
「華原さんが羨ましいなあ。こんなに想われているなんて」
顔を上げた大島さんが、気持ちの良い笑顔を見せてくれた。私にはわからない。志帆と顔を見合わせた。
「ほら、全部二枚ずつ入っているでしょ。左側が決勝よね。フォームが微妙にブレているのよ。右側と比べないとわからない程度だけど」
「ええっ!」と、ポケットアルバムをのぞき込んだ。
言われてみれば、確かにそうだ。全体的に動きが硬いというか、力が入りすぎているように見える。その分、手が縮こまり、つま先も伸びていない。
健太は、これが言いたかったのか。
「右側の泳ぎをされたら、負けていたかもね」
大島さんが、ポケットアルバムを返して寄こした。「大切にしてね」と言っているようだった。
「あいつ……」健太の姿が目に浮かぶ。
こんなわずかな違い、余程、よく見ていなければ気づかない。写真には、古いものもあった。こんなに前から、真剣に、私を見ていてくれたのか。
「私も、美雪ちゃんが羨ましい」
志帆が涙ぐんでいた。素直に「うん」と頷いた。
大島さんを駅まで送っていった後、志帆とも別れて、健太に電話を掛けた。写真の件、「エッチなんだから」と言ったことだけでも、謝っておこうと思ったのだ。
健太には繋がらなかった。
「ホントに間が悪いんだから」と、携帯電話を睨み付けた。
4
夜になっても、健太とは連絡が付かなかった。
明日の晩には、また、檻に入る。その前に、どうしても謝っておきたかった。「中学校くらいは卒業したいでしょ」とは言っていたが、卒業させてくれるとは言われていない。
明日、慶子さんが迎えに来ないという保証はないのだ。
お母さんもお父さんも、何も訊いて来ない。私がペットショップでどんなふうに過ごしたか、知っているのだろうか。
何事も起きないまま、私はベッドに入った。
日曜日の朝、両親は、夕食までに帰ると言って、出かけていった。
志帆も今日は、塾の課題をやらなければならないと言っていた。
何もすることがないのは、私だけ。いや、やろうと思えばいくらでもある。私だって、受験生なのだから。
午後になって、ようやく健太から電話が掛かって来た。ベッドから身を起こし、携帯電話に耳を付ける。
「ゴメン。着信があったの、今、気が付いた」
第一声から、こんな調子だった。
「全く、私から電話しているのに、何やっているのよ」
謝るつもりだったのに、健太の声を聞いた途端に、これだった。話を聞くと、昨日、私との電話を切ってから、自転車で白浜まで行って来たのだと言う。
頭を冷やしたかったって。
この炎天下に自転車なんか漕いだら、頭を冷やすどころではないだろうに。ノーストップでこぎ続けても、片道、四時間はかかるだろう。
しかも、帰り道でタイヤがパンク。夜中になっていたので自転車屋も開いておらず、電車賃も持っていない。駅舎で仮眠を取り、朝になってから自転車屋に持ち込み、修理してもらったのだと言う。
「慣れたものね」と皮肉を言うと、「これで三度目だから」と帰って来た。
「なんで、あんたみたいなヤツ、好きになっちゃったんだろう」
思わず、口に出していた。
私が、健太を好き? まさか、そんなことって……
考える間もなかった。
「華原さん、ホント。俺を好きって、言ってくれたんだよねぇ」
健太のテンションが、異常に高くなっていた。放っておいたら、携帯電話から、飛び出して来そうな勢いだ。
「そんなこと、言ってないわよ」
苦し紛れなのは、わかっていた。
「ううん、今、確かに言ったよ。あんたを好きになったって。そうだろう。華原さん」
とても、ごまかせそうにない。
「そんなことより、白浜のお土産は。私を好きだって言うなら、当然、買ってあるわよねぇ。もらってあげるから、すぐに持って来なさいよ」
良い思い付きだと思った。駅舎に寝るくらいだ。お金も持たずに飛び出したのだろう。健太が、お土産手を買ってあるわけがない。
「わかった。十五分後だけ待ってて」
電話が切れた。もしかして、裏目に出たのか。
それでも良いかと思い直した。写真の件を謝るつもりだったのだし、これから会って、伝えれば良い。
健太が家に来る……?
両親はいない。それが良かったのか、悪かったのか。
にわかに緊張してきた。「お土産を持って来なさい」なんて、とんでもない失敗だったかもしれない。
きっちり十五分で、チャイムが鳴った。
胸に手を当て、呼吸を整えてから土間に下りた。玄関のドアを開ける。健太が、白いTシャツを、汗で身体に貼り付かせていた。
「はい、これ」と、白いビニール袋を差し出す。一目でお土産屋のモノとわかるようなデザインだった。女の子にプレゼントをするようなセンスはない。
健太はまだ、はぁはぁと、息を切らしていた。
袋を開けた。中からは、透明のプラスチックケースに入ったヘアゴムが出て来た。本物の巻き貝をじゃらじゃらと集めた品物だった。
二つ有った。手作りなのだろう。微妙な色合いの違いがあった。
(ツインテール、気づいていたんだ)
気の利いた口は使えないくせに、見るところは見ている。だからこそ、水泳のフォームのわずかなズレにも気づいたのか。
肩で息をする健太を見ながら、胸を熱くなった。
「華原さん、ゴメン。水、一杯、もらえるかな」
気が利かないのは私のほうだ。「待ってて」とキッチンに向かおうとして、足を止める。もう一度、土間に下り、健太の手を取った。
5
昨日、志帆と大島さんが座っていた場所に、健太が座っている。自分の部屋に、男の子を入れるのは初めてだった。
健太は、コップに入れた水を、一気に飲み干した。
お水のおかわりと一緒に、スポーツタオルを持って来た。噴き出した汗は、止まりそうになかった。
「これ、アリガトね」
お土産にもらった巻き貝のヘアゴムを、ポケットアルバムの上に載せて見せた。
水着の写真を撮った健太に、ストーカーだの、エッチだのと言った件も、まとめて謝ったつもりだったが、ちょっと虫が良すぎるか。
帰りの電車賃がなくなったのは、ヘアゴムを買ったからかもしれない。そのために野宿まで、させてしまったのだとしたら……
「なんでも言って。お礼に、一つだけ望みを叶えてあげるわ」
「ホントに」と見つめる健太に、私は大きく頷いた。
健太が、身体を寄せて来た。二度目のキスをしたら、私も、本気になってしまうのだろうか。健太の手に、両方の肩を掴まれた。
汗臭さが鼻を突き、反射的に顔を背けた。
「ゴメンよ。華原さんが、なんでもって言うから……」
健太が離れた。私に拒否されたと思ったようだ。
「ううん、そうじゃなくて……そうだ。シャワー、浴びちゃえば」
「そんな、悪いよ」
「いいから、そうしなよ。汗を掻いたままなんて、女の子に失礼だぞ」
私は部屋を飛び出した。洗面所を片づけると、浴室に入ってボイラーのスイッチを入れた。後はコックを捻るだけだ。
部屋に戻ると、健太は同じ場所に座っていた。上目遣いで私を見上げる。
「俺、もう少し、ここにいていいの?」
お土産だけ置いて、帰る気でいたらしい。さっきの電話の話を追及するでもない。緊張しているのだろうか。
「シャワーを浴びてくれたらね」
健太の手を取って立たせた。「お礼の約束もあるし」と、耳元で囁く。健太の表情にも、余裕が出て来た。
「だったら、一緒にシャワーを浴びてもらおうかな」
クスリが効き過ぎたらしい。甘い顔をすると、すぐにこれだと思った。「ウソ、ウソ」などと手を振っているが、どこまで本気だったのか。
「いいわよ。それがあんたの望みなのね」
私は、健太の手を引いて、浴室に向かった。中学生にもなって、男の子と二人でシャワーを浴びる。それが何を意味するのか。
「ここに脱いで。Tシャツは水洗いして、乾燥機に掛けるから」
脱衣カゴを足下に置き、廊下に出た。少し間があって、衣擦れの音が聞こえた。続いて、浴室の扉が開く音。それらの一つ一つに、心臓が締め付けられた。
浴室の扉が閉まる。
私は、健太のTシャツを拾うと、洗濯機に入れてワンタッチボタンを押した。
大きく深呼吸をした。着ているものを脱ぎ捨て、全裸になって、曇りガラスの扉越しに話しかけた。
「私のほうを向かないこと。私に何もしないこと。いいわね」
返事はない。
構わずに扉を開いた。棒立ちになったハダカのお尻から目を逸らす。フェイスタオルを胸に当て、浴室内に足を踏み入れて行く。
健太の首が、わずかに動いた。
「こっちを見るな」
健太が首を元に戻す。「華原さん、これじゃあ」と、明らかに不満そうな声色だ。
「ごちゃごちゃ言ってないで、そこのイスに座る」
言われた通りに健太が座ると、私は、後ろからフェイスタオルで目隠しをした。
「えっ、何?」と健太。
「うるさい。一緒にシャワーを浴びるんでしょ」
健太は、それ以上、何も言わなくなった。
私は、シャワーヘッドを取って、コックを捻る。吹き出したお湯が、すぐに湯気を立てた。バスマットに片膝を付き、お湯を温めに調整して、健太の肩に掛けた。
思ったより、背中が広かった。こういうのも、混浴っていうのだろうか。
6
健太の背中を流しながら、ふと、頭に浮かんだ。
「ねえ、私のこと、いつから見ていたの」
答は、すぐに返って来た。
「一年生の今頃だよ。華原さんは、毎日、プールで泳いでいた」
水泳部に入って、記録が伸び始めた頃だ。自分でも一生懸命だったと思う。いつかは先輩を追い越してやると、はりきっていた。
「あんたのストーカーは、その頃からだったんだ」
また、やってしまった。こんなことを言うつもりではなかったのに。
「そんなんじゃないよ」
「どうかしらね。はい、後は自分でやってね」
背中は、概ね、流し終えた。これで義理は果たしたと、私は、シャワーヘッドを渡して、立ち上がろうとした。
浴室の鏡に目が向く。健太の股間に、いきり立った肉の塊が映っていた。
「ひゃあー」
慌てて目を逸らした拍子に、足を滑らせた。お尻からバスマットに落ちる。後頭部を浴室の扉にぶつけ、派手な音を立てた。
驚いたのは、健太のほうだった。
仰向けに倒れた私を、抱きかかえていた。目隠しも取っていた。これ以上ないというほど、差し迫った表情だった。
「華原さん、大丈夫。頭、打ったんじゃない」
健太の手が、私の後頭部に当てられた。たいした痛みではなかった。
「大丈夫だよ」と私。「良かった」と息を吐く健太。
目が合った。健太の顔が、すぐ近くに迫っていた。
このままでマズイと思ったが、逃げられない。身体を起こそうとすれば、むき出しの乳房を、健太の胸に押し付けることになる。
「華原さん……」
健太の目つきが変わっていた。さっきまで、あんな心配してくれていたのに、無事だとわかった途端、狼の本性を現したようだ。
好きな女の子が、腕の中にいるのだから無理もない。それも、一糸纏わぬ素っ裸で。
健太が、唇を合わせて来た。
二度目のキス。拒もうとはしなかった。心のどこかで、私も望んでいたのだと思う。
でも、キスだけで済むだろうか。
健太の口が動いた。力強く唇を押し付けてくる。この前の、触れるだけのキスが、ウソのようだ。抱き締める腕にも、力が入っていた。
「うぐぅう」息が詰った。健太が一度、唇を離す。
「ゴメン。痛かった?」
「ううん」と目を逸らす。代わりに、両方の掌を、健太の胸に当てた。
「こっちを向くなって言ったのに……」
健太の胸を押し離そうとする。逆に強い力で、抱き締められた。健太の腕が背中に回り、肌と肌が合わる。どこにこんな力があるのだろう。
「俺、もう我慢できないよ」
健太の声が、耳元で聞こえた。
「こんなのズルい。何もしないって約束だよ」
もう一度、健太の胸を押す。ふと、軽くなった。健太の顔が、正面に戻っていた。
「華原が好きだ。大好きだ」
健太の視線から逃げられない。金縛りに会ったように、見つめ続けた。
再び、唇を奪われる。しゃぶり付くような激しい口づけだった。どう応えたら良いか、わからない。
健太が、いよいよ身体を覆い被せて来た。
「ひぃいいいーー」
下腹部に、堅く尖った肉の塊が突き刺さる。鏡に映った様子を思い出し、首を激しく振った。
「ダメよ。ダメ。絶対ダメぇー」
あの肉塊が、私の中に入って来るなんて。
「なんでだよ。華原さんも、さっき、俺を好きだって……」
電話の件を、ここで持ち出すのか。そんなことをしなくても、私の負けは決まっているのに。
――エッチするなら、卒業までにしてね
玲子さんの声が聞こえた。
これが運命だったのか。若い男女がハダカで抱き合い、口づけを交わす。ここで終るほうが、不自然に違いない。
健太の手が、股間に伸びる。
その手首を掴んだ。
「ここではダメ。ちゃんとベッドに連れて行って」
7
バスタオルで身体を拭くと、健太は私を抱き上げた。お姫様抱っこというヤツだ。二人とも、下着一枚、身に付けていなかった。
そのまま階段を上る。私は、健太の首にしがみついた。
ベッドに寝かされた。
健太が、ハダカの私を見下ろす。思わず胸を抱き、寝返りを打った。背中を向けたところで、素肌の大部分は、隠しようもない。
私に迫ろうとする健太に「カーテンを引いて」と告げる。
タオルケットに潜り込んだ。
部屋は、いくらか暗くなった。日中では、これ以上、どうにもならない。覚悟を決めたはずなのに、胸の奥から身体が震えた。
健太に、肩を掴まれた。
仰向けにされ、見つめ合う。唇を奪われた。健太は、何度も力強く押し付ける。舌は使おうとしない。使い方を知らないのか。
玲子さんと大人のキスを体験した分、私のほうが上手かもしれない。
そう思うと、少しだけ余裕ができた。
口を開き、舌を出して健太の唇を舐めた。健太が、驚いたように顔を引いた。
でも、それは一瞬のこと、すぐに顔を被せてきた。今度は健太も舌を出し、私の唇を割開く。知識としては持っていたようだ。
舌と舌とが絡まる。荒々しい舌使いで、口の中をかき回された。
「ああーん、ダメェええ」
健太に、タオルケットを剥がされた。
ディープキスで、少しでも優位に立てたと思ったのは、錯覚だったのか。女の子にハダカを見られる羞恥がある限り、対等にはなれないようだ。
健太の右手が、私の乳房を鷲づかみにした。
感じるとかいう問題ではない。とにかく触られている、いじられているという感覚だ。玲子さんのように、乳首を摘むでもない。ただ乱暴に揉みしだくばかりだ。
いつもの大人しい男の子ではなくなっていた。
「華原さん、すごい。こんな柔らかいなんて」
興奮に、声が上擦っていた。
「健太のバカ」健太を睨んだのは気持ちだけだった。「そんなこと、言わないの」
首筋に沿って進む舌が、唾液を塗りつけていく。
勢いが余り、噛まれるのではないかと恐怖したが、それはなかった。むしろ微妙な肌触りが、背筋に下りていく。これも性感なのだろうか。
唇が胸を伝い、乳房までたどり着く。柔らかな膨らみを這い回る舌先。反対側の乳房を襲った指とは、対照的な繊細さを持っていた。
乳首の先端に、甘い痺れが生まれた。痒いような、くすぐったいような、思わず避けてしまいそうになる刺激だった。
逃げたところで、追い付かれる。唇の先で捕らえられ、新たな刺激が加えられる。
されるがままの私。
普段なら考えられない。私が健太の言いなりなんて。そんな悔しさも、舌先に舐め取られた。
「はふぅん……」
自分でも、信じられない声だった。
大人の声、女の声、エッチな声。健太の情欲をそそったらしい。
乳房を揉みしだく掌にも、激しさが加わる。でも、それは激しいだけでなくなっていた。健太がコツを掴んだのか。私の身体が慣らされたのか。
きっと、どっちも本当なのだろう。
舌先がもたらす刺激と混ざり合い、身体を芯から熱く燃え上がらせる。
「こんなの変。絶対、変だよ」
健太は聞いていなかった。ただ、私の肌を、貪ることに夢中だった。
時にはやさしく、時には乱暴に。乳首にしゃぶりつく仕草は赤ちゃんのようでもあり、私を困らせる駄々っ子のようでもあった。
それらの行為が、私の身体から、未知の感覚を引き出していく。
(気持ちいい……? これが感じるってことなの……?)
答を待ってはくれない。
健太の掌が乳房を離れ、脇腹から臀部へと下りていく。生のお尻に、男の子の指が触れている。ほんの少し前まで、考えてもいない出来事だった。
ゾクゾクする興奮に、意識が酔わされていく。
(私……ホントに、しちゃうんだ)
半信半疑だった思いが、一つの形になろうとしていた。
8
健太の手が、股間に伸びて来た。
ヘアーに触れる手前で、私は、その手首を掴む。頭で考えた行動ではない。自然に動いた。女の防衛本能は、解除されていなかったらしい。
「華原さん、俺……」
健太が頭を持ち上げた。軽い口づけの後、目線を合わせて、私を見つめる。
切なそうだった。
ペットショップで、エサ皿の目の前に「マテ」と指示されて小犬のようだ。「早く、早く」とせがんでいる。
「初めて……なんだからね」
私は、手首を離した。
「俺だって」と言うより早く、健太の指先が、ヘアーをスルーした。あっと言う間に、股間へ割り込んでいく。太ももが閉じた。
「華原さん……」健太の声に、苛立ちが混ざる。
「わかっているわよぉ」
せめてもの強がりを示したが、これで最後かもしれない。
足の力を抜いていく。股がゆっくりと開いていく待ちかまえていたように、健太が攻めて来た。女の子の中心に、指先が届いた。
「ひゃあん」
逃げ出しそうになる思いを、必死で堪えた。これが最後の試練だ。ここを通り抜けなければ、二人が結ばれることはない。
健太もおっかなびっくりなのだろう。秘肉をそっと撫でていた。知識としては持っていても、実際に触るのは初めてに違いない
少しずつでも、確実に奥へと、手探りが進む。
「華原のここ、熱くなってる……」
「ダメっ、言わないで」
どんな状態になっているのか、私にだってわからない。教えられたところで、恥ずかしいだけだ。
「大丈夫かなあ。入れても、いいのかなあ」
健太も不安になっているのだろう。露骨な言い方でも、いやらしさはなかった。
男の子を受け入れる準備ができているのか。
前戯とか、愛撫とか、言葉としての知識はあっても、二人にとって未知の体験であることに変わりはない。「怖さ」だって、ずっと胸の内に隠したままだ。
ただ、健太も怖いんだと思うことで、少しだけ気持ちが楽になれた。
「いいよ。きっとうまくいくわ」
やっとの思いで口にした。健太にも、真意が伝わってくれただろうか。
「華原さん!」
健太が、膝の間に割り込んで来た。その強引さに、ちょっとだけ驚かされた。
両手で足を開かされた。二人が結ばれるには、そうしなければならないのはわかっていた。飛び出しそうになる言葉を、ようやく喉で押し止めた。
指ではない何かが、女の子の入り口に触れた。
「あっ、それ……」
口に出せない単語を思い浮かべた。お風呂場で鏡に映っていた健太の分身。あのまがまがしい生き物が、私の秘孔を狙っていた。
「入れるよ」と健太。
返事なんて、できない。ここで止めると言われたら、どれほど安堵しただろう。そうならないことは、わかっていた。
「あっぐぐぅ、ううう……」
歯茎に力が入っていた。
分身の先端が、秘孔を割ると同時に息を止めた。存在感がハンパではない。こんなに大きかったのかと、今さらながらに思った。
「あああっ、いやっ」
避妊しなければと、思い出したが遅かった。ここまで来て、男の子が治まるはずもない。どんどん奥に入って来る。
「華原さん、華原さん……」
健太が、奥に入って来る。秘孔の入り口で、さらに力強く膨れあがったようだ。
とりあえず、うまくいっていると思って良いのか。私は息を吐いた。このまま、終わってくれることを祈った。
「痛い!」息が詰まった。
健太の動きに、一際、力が加わった一瞬だった。破瓜の痛みは、頭ではわかっているつもりだった。でも、まさかこんなに痛いなんて。
「華原さん、大丈夫?」
こんな時に言う言葉だろうか。
「痛い。痛いよ。全然、大丈夫じゃない」
悲鳴を上げたかった。想像を遙かに超えた痛みに、何かの間違いではないかと思えた。このまま続けたら、どこかが壊れてしまうような……
健太の進行は止まらなかった。
「止める。もうダメ。もう、こんなのイヤ」
マジメにそう思った。健太の胸を力一杯押した。ビクとも動かなかった。
9
下腹部を串刺しにされているような痛みに、私は首を大きく振った。この場から逃げ出したいと、心から願った。
健太の分身は、確実に、秘孔の奥を目指していた。
「もう止めて。終わりにして」
私は、健太の肩を拳で叩いた。
「ゴメン、華原さん。あと少しなんだ」
健太が、はっきりと告げた。
どれほど痛いか、わかっているのだと思った。わかっていても、今、ここで止めるわけにはいかないのだと。
私は、健太の背中に両手を回し、しがみついた。少しでも痛みが紛れる気がした。
間もなく、進行が止まった。
健太が、大きく息を吐く。一番奥まで、辿り着いたのだろう。ただ痛いだけで、私にはわからなかった。
健太は、私を抱き締めたまま、動かない。
女の子の奥深くに潜む痛みはあっても、じっとしていれば耐えられないこともない。むしろ、二人が結ばれていると実感させてくれるようだ。
私は、健太と繋がっている……
どれくらい、そうしていただろう。ずっとこのままでいいと思った。痛みにも、慣れていった。
「俺は、やっぱり華原さんが好きだ」
健太が上体を持ち上げ、見下ろしていた。
唇を奪われた。これで何度目だろう。もう、この唇は、私のものではないのかもしれない。どこかに健太の名前が書いてある気がした。
健太が唇を離した。
距離を取って見つめ合う。私は、どんな顔をしているのだろう。そう思うだけで恥ずかしかった。
「まだ、痛い?」
破瓜の痛みを気遣っているのだとわかった。
「ううん、大丈夫」
正直なところ、じわーとくる痛みはあった。健太が入って来た時のような、耐えられない痛みではない。
「少し、動いていいかな」
「うん」と首を縦に振る。ようやく治まっているのに、動かれたらどうなるか。
「痛かったら、言ってね」
健太が腰を引いた。傷口を引っかかれるような痛みが、下腹部に走る。さっきの繰り返しかと下唇を噛みしめた。
「華原さん、痛いの?」
健太の動きが止まった。
「うん、まだちょっと。でも、平気だよ。女の子の痛みだもの」
誰に教わったわけではないが、健太を納得させるには十分だったようだ。「ゴメンね」と一言残した後、健太は腰を動かし出した。
これは女の子の痛み。健太と繋がっている証。そう自分に言い聞かせた。
一度体験していたせいもあり、何とか我慢ができた。
健太の息が乱れて来た。見た目より、激しい運動なのだろう。汗が飛び散り、私の顔にかかる。
下腹部にも変化が現れた。秘孔の粘膜が潤いを帯び、健太の分身が滑り出した。和らぐ痛みに変わって、子宮を突かれる感覚を意識した。
変な感じだ。さっきまで、あんなに痛かったのに、この感じはイヤではない。
乳首を舐められ、身体中をいじり回された時の、未知の感覚が蘇る。健太が動く度に、もっと深いところまで、連れて行ってもらえそうだった。
「華原さん、俺、もう……」
健太の様子がおかしくなっていた。
射精が迫っているのだろう。避妊具は付けていない。このまま出してしまったら、妊娠してしまうかも……
「いいよ、出して。全部、好きにしていいよ」
言ってしまった。もう後には戻れない。
「華原さん、華原さん……ああっ」
健太の動きが止まった。熱いモノが下腹部に注がれた。脈打つように、何度も激しく、繰り返された。受け止めることが、私にできるすべてだった。
脱力して、覆い被る健太の裸身。呼吸を整える時間も、わずかだった。
「大丈夫?」と、気遣う健太。
私は「うん」と、微笑みで応えた。
自然と重なり合う、二人の唇。健太の舌が、口の奥深くまで入り込んで来た。
上も下も、繋がったままだ。私のすべてが、健太のものになっていく。もう二度と離れられない。そんな気持ちになっていた。
ベッドの上で、素肌を触れ合わせているのが、気持ち良かった。いつまで、こうしていたいと思った。でも、
「もうすぐ、お父さんが帰って来るわ」
健太は、何か言いたげだった。私は、強引に健太を立たせた。このままにしていたら、何を言い出すか、わからない。
名残惜しいのは、健太だけではないのに。
「じゃあ、また明日」
健太は玄関で、もう一度、キスをしようとした。
私は拒んだ。
「後悔しているの」と健太。「ううん」と首を振る私。今、キスをしたら、「帰らないで」と、言ってしまいそうだった。
10
お母さんたちが帰って来たのは、それから三十分と経っていなかった。
家族三人でご飯を食べ、お風呂に入って、明日の学校の準備もした。ツインテールを、巻き貝のヘアゴムで留めた。
もう、することがない。私は、ベッドに身体を投げた。
健太の匂いが残っていた。
女の子って、こんなに弱いものだったのか。一度抱かれただけだというのに、健太が恋しくてたまらない。今すぐにでも、会いに行きたかった。
明日になれば会えるのに。
でも、どんな顔をして会えば良いのだろう。私のことだ。健太の顔を見た瞬間に「何よ」と言ってしまうかもれない。
志帆には、何て言おう。あんなに心配してくれていた。隠しておくなんてできない。
「健太と付き合うことにしたから」と、言ったらウソになる。キスもしたし、セックスもした。それなのに、付き合うと約束したわけではない。
「健太のバカ。肝心なことじゃない」
私は、枕に当たった。
明日の朝、一番で健太に言おう。「あんたと付き合ってあげるわ」って。
早く明日になって欲しいと、心から願った。
「美雪、あまり遅くならない内に、行きなさいよ」
部屋の外から、お母さんに声を掛けられた。
すっかり忘れていた。私は、今夜、ペットショップに泊まる予定だった。明日の朝、檻の中で玲子さんを待つ約束に、なっていたのだ。
(どうしよう……)
上体を起こし、ベッドに腰掛けた。ペットショップに行けば、また、玲子さんに身体を洗われるのだろう。女の子の部分を覗き込まれたら、健太とエッチしたのが、わかってしまうに違いない。
檻に入りたいとも思う。玲子さんに調教してもらうのも楽しみにしていた。でも、檻から出してもらえなくなったら、健太に会えない。
「どうしたの。玲子さんのお店に行かないの」
お母さんが、部屋に入って来た。
「今夜は、やめようかと思って」
口に出してみて、それが案外、本心なのかもしれないと思った。
「何言ってるの。美雪から、お願いしたんでしょ」
意外な反応だった。私のトリマー修行を応援してくれているのはわかっていたが、積極的に背中を押されるなんて。
「そうだけど……」言葉を続けられない。とりあえず、行くしかないのか。
私が立ち上がるのを見届けると、お母さんは部屋を出ていった。
荷物を持って階段を下りる。リビングに顔を出し、お父さんに「行ってきます」と告げた。「気を付けてな」と、やさしい声が返って来た。
玄関を出る前に、お母さんから紙袋を渡された。「お店に着いてから開けてね」と、念を押された。中身は、夜食のサンドイッチだと思った。
夏の夜風は気持ちがいい。星空がきれいだった。
いつものような橋を渡り、川沿いの道に出る。もうすぐ、健太と初めてキスをした場所だ。人影が見えた。もしかして……
私は駆け寄る。人影が、足を止めた。
「華原だな」
里見先生の声だった。「なんで」と思わずにはいられない。まるで、私を待っていたようなタイミングだった。
「お母さんから連絡をもらったんだ。華原の様子がおかしいから、見に行ってくれと」
先生が、市内に住んでいるのは知っていた。でも、まさかに近くだったなんて。
「お母さんが、先生に……ですか」
「ひどく心配していたぞ」
ネクタイをしていない里見先生を見るのは、初めてだった。
「親というものは、超能力を持っているんだ。我が子にしか使えないモノだけどな。お母さんにはわかるんだよ。華原が悩んでいることが」
いつになく、口数が多かった。私は「ホントですか」と、首を傾げた。
「血は水より濃いというわけだ」里見先生は言葉を切った。「でも、華原のお父さんには、ちょっとムリかな」
ハッと息を飲んだ。
「なんで先生が、お父さんのことを……」
11
私は、一歩、踏み出していた。両親が、私にも内緒にしている家族の秘密。それをなぜ、里見先生が知っているのだろうか。
「やはり、知っていたか。美鈴さんの言った通りだ」
美鈴はお母さんの名前だ。里見先生が、そんな呼び方をするなんて。それより、
「お母さんは、知っていたんですか」
お父さんが、本当のお父さんではないという事実に、私が気づいていることを。
「そうだ。華原は、なんで気づかないふりをしていたんだ」
こういう聞き方をする時の里見先生は、やはり学校の先生だった。
「なんでって、そのほうがいいと思ったから……」
「そうだな。気づかないふりをしたほうが良い時もある。華原がペットショップに行く、本当の理由もな」
心臓が止まりそうだった。里見先生は、どこまで知っているというのか。
「先生は、誰なんですか?」
私の疑問は、その一点に集約していた。
「いつか話そうと思っていたんだが、私は華原の叔父さんだよ」
時が止まった。何もない空間に、里見先生の声だけが続いていた。
「華原の本当のお父さんは、十二年前に海難事故で亡くなった。私の兄だよ。当時二歳だった華原と、お母さんの美鈴さんは、今のお父さんである華原公夫氏に引き取られた。事故の責任の一端は、華原氏にあったからね。その後、美鈴さんとの間に恋が芽生えて結婚、今に至るというわけだ」
そんなことがあったなんて。
にわかに信じられない。私が里見先生に惹かれていたのは、本当の父の面影があったからなのか。二歳の頃の記憶なんて……
私は思い当たった。お母さんが里見先生を呼んだ、本当の理由に。
「先生、私、行きます」
胸を張り、きっぱりと言い切った。
「そうか。わかってくれたんだな」
里見先生は、満足顔だった。
送ろうかと言ってくれたが、私は断った。里見先生は、私の叔父さん。どこまで知っているかはわからないが、やはり、あこがれの男性だった。
道すがら考えた。
今のお父さんは、里見先生にとって、お兄さんの敵……なのか。
だからなのかもしれない。お母さんが再婚した後も、同じ街に住み、兄嫁であるお母さんと、姪である私を、見守ってくれていた。
案外、お母さんを好きだったのかも。そう思うと、頬がほころんだ。
まもなくペットショップに着いた。
明かりを点けると、小犬たちが一斉に騒ぎ出す。大急ぎでドアを閉め、鍵を掛けた。檻の前には、この前と同じように、脱衣カゴが用意されていた。
「待っててね。いますぐ、あんたたちと同じになるから」
私は服を脱ぎ捨てた。
幼さの拭いきれない体型だが、少なくとも健太は喜んでくれた。バカみたいに、乳房に執着していた。男の子って、みんな、ああなのだろうか。
そんなことを思いながら、首輪を付けた。
後は檻に入るだけだ。
鉄格子の扉を開け、身体を半分入れたところで、お母さんからもらった紙袋を思い出した。一度、檻を出る。
バッグから、紙袋を取り出した。
中身はサンドイッチではなかった。小さな箱のフタを開けると、首輪が出てきた。取り出して眺める。玲子さんにもらった首輪と、よく似ていた。
ふと、目を留める。
箱の底に、一通の手紙が入っていた。
12
見慣れたお母さんの字だ。
便箋に三枚、びっしりと文字が埋められていた。お母さんから、こんなに長い手紙をもらった記憶はない。
何だろうと、胸が騒いだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
美雪へ
いつか、この話をする時が来ると思っていました。
血は争えないもので、美雪もお母さんと同じ道を歩もうしています。美雪が、トリマーになると言い出した時、その思いを強くしました。
お父さんのことは、もう知っていますね。
美雪の本当のお父さんは、沖縄の離れ小島の漁師でした。お父さんが船乗りの勉強をするために上京していた頃、東京で知り合いました。すぐに愛が芽生え、美雪ができました。お父さんが島に戻る時、そのまま嫁入りすることになったのですが、島には古くからの風習がありました。
島の人達は、『犬嫁』と呼んでいました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
お母さんが再婚しているのは知っていた。
まさか、沖縄に嫁いでいたなんて。お父さんを、それだけ愛していたのだろう。文字の間から読み取れた。
心が温かくなった。
それにしても、『犬嫁』って……
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この島の嫁は、祝言の日から一年間、その家の飼い犬として過ごさなければなりません。そのための決め事が、作られていました。
犬嫁は、衣類を着せてはならない。
犬嫁は、家屋に入れてはならない。
犬嫁は、二足歩行をさせてはならない。
犬嫁は、食事の際に手を使わせてはならない。
屋内に入れない犬嫁は、丸裸のまま、外で四つん這いの生活を強いられました。地面に置かれたエサ皿で食事を摂り、庭の片隅で排泄を済ませ、散水用のホースで身体を洗われました。寝床は、庭先に置かれた檻の中でした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
こんなことって……
心臓が爆発しそうだった。お母さんは、私と同じことをしていた。いや、同じどころではない。檻ごと、外に出されていたなんて。
お父さんだけではなく、家の人や、近所の人にも、犬の姿を晒していたことになる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
普通は一年で終る犬嫁修行ですが、お母さんは妊娠していたこともあり、納屋の中で檻に入れられていました。その分、修行の期間が長くなりました。美雪の記憶にも、残っているかもしれません。二歳の頃まで、一緒に檻の中で生活したのですから。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そうだったのか。
さっき、里見先生に言われて気づいた。二歳の頃の記憶。お父さんの顔は思い出せなかったが、鉄格子の記憶は、ぼんやりと覚えていた。
時折、思い浮かんだ檻の中の光景、ハダカのお母さんと重なり合って過ごした記憶は、本当にあったことなんだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
同梱の首輪は、お母さんが付けていたものです。プレートに「BELL」と書かれているのがわかると思います。犬嫁修行中のお母さんの名前でした。
虐待みたいに聞こえるかもしれませんが、お母さんは幸せでした。お父さんには愛されていたし、ずっと美雪と一緒にいられましたから。美雪を背中に乗せ、ハダカに四つ足でお散歩させられる恥ずかしさには、最後まで慣れませんでしたが。
美雪も、同じなのだと思います。檻の中の生活が幸せだったから、今でも、あの場所に戻りたいと思ってしまうのでしょう。
犬として飼われるのも、悪いことではありません。
決して反対はしませんが、美雪が思っているより、楽ではないかもしれません。玲子さんの調教も、ますます厳しくなるでしょう。どんな辛い目に遭っても、逃げ帰る術はありません。その覚悟があるのなら、がんばってみることです。
ただ、これだけは覚えておいてください。美雪が犬になっても、私があなたのお母さんであることには変りありません。今のお父さんだって同じです。ずっと美雪の幸せを願っています。
中学校を卒業するまでは、まだ、半年以上あります。その間によく考えて、自分の進むべき方向を決めてください。
迷うのも、苦しむのも、若い頃には良い経験なのですから。
美鈴
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
涙が止まらなかった。
里見先生の言う通りだ。お母さんには超能力があるらしい。私のことはなんでもわかっている。わかっていて「悩みなさい」なんて……
「ひどいお母さんだと思わない」
私は、ケージの中のシーズに、話かけた。
シーズは立ち上がり、少しだけしっぽを振って見せたが、ケージから出してもらえないとわかると、また元のように丸くなった。
荷物を整理して、脱衣カゴを、檻から届かない場所に置いた。
檻の中に入り、南京錠を掛けた。
これでもう、朝まで出られない。
私は、板敷きに身体を横たえ、お母さんの手紙を、ハダカの胸に抱き締めた。
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